10月の法話

”信心を得る”

浄土真宗は、「お浄土はある」というところから出発する宗教であります。そこが曖昧では駄目でござ

います。ところが、「私の宗教は、浄土真宗」と言っている方でも、浄土の存在を信じていない方も中

にはおられるかもしれません。それは、誰でもない他ならぬ、私がそうでありましたから言っているの

であります。「浄土があればいいけどな、阿弥陀さまもいらっしゃればいいけれども、あるかどうか分

からないじゃないか」とそう思っていたのです。

そんな有る日、親しくお付き合いさせていただいていた先生にお尋ねした時があったのです。

「先生、お浄土があればいいけれども、あるかどうか分からないじゃないですか?」そうしますと、

先生は「おまえも、いつか死ぬんだろ?」

「はい、死ぬと思います。」

「思いますじゃなくて必ずなのだ、だれも逃れられないのだ、人間の死亡率は100%だぞ。」

「おまえ、死んでどこへ行くんだ?」と言われ、ハッと気づかされたのです。

そして、今まで信じられなかったお浄土が見えてきたのです。

私は、「浄土があればいいけどな、阿弥陀さまもいらっしゃればいいけれども…・」とのん気なことを

言っておられるのは、自分は死なないつもりでいたからではないかと気づかされたのです。皆様も

想像してみて下さい。もし明日、自分の死が決まっているとしたら、死が目の前に直面したら、そん

な、のん気はことを言っておられるでしょうか。

先日、ある通夜の席で、このお話しをさせていただきました。通夜が終わりまして、控え室に喪主の

方と奥様が、挨拶に来て下さいました。その奥様が「浄土真宗はとても現実的な話しですね」と言わ

れましたので、この方は仏法が分かっている方だと思いました。「死」は夢物語ではなく現実の私の

問題なのです。仏法を聞いたことがない方は、「浄土」とか「阿弥陀仏」が空想か夢物語のように思

い、現実離れした話しだと思う方もいらっしゃるでしょう。ご主人も「考えてみたら、死は怖いですよ

ね。今まで考えないようにしていたようです」。続けて奥様が「肉親を失った時、人間は無になるのか

もしませんね。そこで、日頃は聞く耳をもたない仏様の教えが素直に聞くことができるのですね」と

おっしゃられまして、とても有り難いご縁でありました。

 しかし、この人間の根本的不安「死」の解決は、自分でいくら考えたって駄目でございます。一番の

早道は、人間の生と死を、一生の間考え尽くした、偉大な宗教家「親鸞聖人」がお示し下さった、

阿弥陀仏の救いを聞くことが唯一の解決の道なのです。

 ホームぺージ8月の法話にも書きましたが、「法蔵菩薩が阿弥陀如来様に成られたということが、

私が死に対して安心していいということなのです。これが浄土真宗なのです。そこを聞かないと、

「安心」はいただけないのです。

 南無阿弥陀仏とは、「安心していいよ」と、私に言っている阿弥陀様のお言葉なのです。「安心して

いいよ」と言っているのだから、安心できます。南無阿弥陀仏は、私が称え、私の口から出るのです

が、私が発信地ではないのです、阿弥陀様なのです。南無阿弥陀仏は、仏様が私の元に現れている

姿です。南無阿弥陀仏は、私が言う言葉だと思っていたら、駄目でございます、浄土へは行けませ

ん。人間は、阿弥陀仏の頼もしいはたらきによって、極楽浄土に往生できるのです、私の力は微塵も

加わらないのです。

 もう一度申しますが、南無阿弥陀仏とは「必ず浄土へ迎える」とおっしゃっている阿弥陀様の言葉で

す、言葉は心から出るのです。その阿弥陀仏のすべての者を浄土へ救いたいというお心(信心)をい

ただくことが大事なのです。

 ご信心をいただくということは、「安心をいただく」ということであり、「私は、既に阿弥陀仏に救われ

ていたんだな」ということです。しかし、多くの方は、仏様の慈悲の中にいるのに、それを知らないで

死んでしまうのです。何ともったいないことでしょうか、そして、一体どこへいくのでしょうか。浄土真宗

では、命のある間に、棺桶に入る前に、ご信心をいただくことが一番大事なのです。

法徳寺 副住職 伊東 英幸