1月の法話 

”明けまして、南無阿弥陀仏”

 法徳寺の名前にある「法」という字は、仏事では多数用いられる言葉の一つです。例えば、

「法事」「法要」「法名」「法話」など沢山の言葉があります。この「法」というのは、「阿弥陀如来様

の教え」という意味です。ですから、年忌仏事を「法事」と言われるのは、「阿弥陀如来様の教え

に出遇わせていただく行事」という意味です。「法要」も、「阿弥陀如来様の教えの要(かなめ)に

出遇う行事」という意味です。また、私たち浄土真宗は、「戒名」と言わず、「法名」と申します。

これは、私たちの戴く、「釋」で始まる法名は、阿弥陀如来様の教えに帰依された方に付ける名

前であり、名前字体が、阿弥陀如来様の教えを表しているのです。「法話」は、文字通り、「阿弥

陀如来様のお話し」ということです。 

 私は、必ずお通夜の席に申し上げるのは、亡き方の死を無駄にしないで下さいということです。

愛する方を失っても「死んだら終わり」「安らかに眠って下さい」「ご冥福をお祈りする」という言葉

で片付けないことです。

 亡き方の死を無駄にしないということは、私が、阿弥陀如来様の教えに出遇うことなのです。

それゆえに、通夜・法事は、「阿弥陀如来様の教えに、私が出遇わせていただく行事」なのです。

私どもが、亡き方を縁として、阿弥陀如来様に遇うことができるならば、亡き方は、永遠に生かさ

れることになるのです。この私を、真実の法に導いてくれた仏様として、私たちの心に生き続ける

のです。法事・葬儀は、亡き方から残された者が、「いのち」を学ばせていただく大切な場です。

「お前も死んでいかねければならないのだよ、今、安心して生きていますか、安心して死んでい

けますか」と亡き方が、「阿弥陀如来様の教えに目覚めよ」と私たちに呼びかけて下さっている、

その願いを残された者が大切に聞きとどめてほしいと思います。法事は、亡き方を偲び、我が

身を振り返る大切な場なのです。蓮如上人が「白骨のご文章」に示されておるのは、正にこのこ

とです。

 浄土真宗の寺は、葬儀・法事だけの場ではありません。生きている者が、阿弥陀如来の真実

の救いに出遇わせていただく場であります。即ち、阿弥陀如来様の教えを聞かせていただく場

なのです。ですから、法事・葬儀・毎月の行事・年中行事には、必ず、法話があります。お寺は、

死んでから用事のあるところではありません。 

 しかし、浄土真宗は、安らかに死ぬ為の教えではありません。人生最後の一瞬まで、安らか

に・健やかに・精一杯生きる為の教えだと思います。なぜなら、明日を保証されていない私たち

が、安心して生きることができるのは、安心して死んでいける救いが、既に私たちに阿弥陀如来

様によって与えられているからです。それが、お浄土へ往生させていただく道なのです。

 年頭の挨拶は誰しも「明けましておめでとうございます」というのが一般常識になっております

が、お寺では、門信徒の皆様と「明けまして南無阿弥陀仏」と年頭の挨拶をしたいと思います。

阿弥陀如来様はいつでも、私たちに南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏となって呼んでくれておりま

す。南無阿弥陀仏は、私の口に称えるまんま、阿弥陀如来様が直々に私たちに呼んでくれてい

る言葉です。「私が、いつでもいるよ皆さんを包み込み、見守っているよ、私の真実の救いに早

く目覚めてくれよ」。その南無阿弥陀仏に今年こそは、目覚める年にいたしましょう。そして、い

つでも、南無阿弥陀仏の救いの中に生かされていることを喜び、感謝いたしたいものです。

合掌・念仏。

合掌  副住職  伊東 英幸