歎異抄第十五条 〜この世で覚ることは出来るのだろうか?〜

 寒い冬がやってきました。秋のころは今年の冬は暖冬で、温かい日が続くなどと予想されていましたが、どっこい関東でも雪は降るは寒波が押し寄せるはで、大変寒い冬になっています。

寒い冬は体にこたえます。それならば体にこたえる冬は、僧侶の修行に最適とも言えるでしょう。浄土真宗では体を痛めつける「修行」と称したものはしませんが、宗派によっては大変厳しい修行を行うところもあるようです。冬山を歩き回ったり滝に打たれたり、大変厳しい修行だと聞きます。これらは現世において煩悩や罪悪を断ち切り「覚り」に近づくというのが目的です。このような教えを説く真言密教や法華経では、この世で覚りを開くという「即身成仏」は大変な苦労を伴って初めて可能であると説きます。

その「即身成仏」を実践する方法とは、身密、口密、意密の「三密加持」だそうです。

身密とは、手に印契(諸仏や諸菩薩などのはたらきや誓願、功徳などを象徴的に表現した形で、これを手指で象ったもの)を結ぶ。

口密とは、口に真言をとなえる。

意密とは、心に仏の姿を思い浮かべる。

これらによって宇宙と一体となり、奇跡や不思議を生み出す仏の力を授けられるようです。いずれにしても、これらを成就することは大変困難で、能力が備わった人にしか、つとめられない難しい修行だそうです。

 では凡夫である我々は、どうすればこの世で「覚り」に近づく事が出来るのでしょうか。

親鸞聖人がお書きになった、「正像末和讃」には、

「弥陀の本願信ずべし 本願信ずる人はみな

摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」

とあるように、阿弥陀さまの教えを聞く人は、必ずおさめとって見捨てないという、ご利益によって「覚る」事が出来るとあります。しかしこの世ですぐ「覚る」というのではありません。浄土真宗ではこの世で煩悩を絶つことは出来ないといいます。ですから浄土真宗で言う「覚り」とは、来世において必ず仏にさせていただく「予約」のようなものです。この世で「覚る」事は困難だが、来世には必ず「覚る」(仏になる)ことができるという安心を頂くのです。煩悩具足の身を持って、この世で覚りに近づく。そして来世には極楽に行くことが約束される。浄土真宗は誰もが安心でき、難しくなく、平等な教えなのです。

参考文献 仏教早わかり百科 ひろさちや 主婦と生活社

     歎異抄私解    大谷暢順  アインブックス