宗派が多い理由

法徳寺では、多くのご縁を頂き、数多くの葬儀を執り行っています。私自身も約週1回のペースで葬儀を任されています。その際はお経をしっかり称えるのはもちろん、法話や、命名した法名の説明によって参列者を教化したりもします。私が特に大事にしていることは遺族とのふれあいです。葬儀・告別式終了と同時に寺に帰る僧侶も少なくないそうですが、私は火葬場までついて行き荼毘に付される間、遺族と席を共にします。

その席ではいろいろな話題が飛び交うのですが、何より多い話題が宗派についてです。「嫁の実家は何宗だ」「〜宗の仏さまは何ですか?」「浄土真宗にはお西とお東があるのですね」など、必ずと言っていいほど話が出ます。そもそも仏教は、お釈迦様が提唱した教えのはずなのにどうしてでしょうか。

 日本史に詳しい方はきっとこう答えるでしょう。「日本に仏教が入ってから何百年か後、平安から鎌倉時代にかけ、たくさんの高僧が出現し、それぞれの宗派を開いたのだよ。日蓮が日蓮宗。親鸞が浄土真宗。道元が曹洞宗。栄西が臨済宗。」

 この答えは合っているとも言えますが、根本的答えとは言えません。なぜならそれぞれの高僧が教えの元としたのは間違いなく「お釈迦様の教典」だからです。決して勝手にお経を作り上げたのではありません。それなら教えに大差はないはずです。これはどういう事でしょうか。

 今から約2400年前、お釈迦様の入滅後、お釈迦様の高弟たち約500人が集まって、教典編纂会議を開きました。そうつまりお釈迦様は、ご自身では教典を何一つ書いていないのです。そしてお釈迦様の侍者をしていた阿難尊者の記憶など、多くの弟子の記憶に基づき、教えをまとめてみたら8万4千もの説法が確認されたそうです。もちろんこの数は誇張された表現だそうですが、とにかく多くの教えがあり、それから多くの教典を編纂していったことは間違いありません。

これはどういう事かというと。お釈迦様の説法の特色は「対機説法」だったからです。これはお釈迦様が、教えを説く相手の機根(能力)に応じて、それぞれに全く違う教えを説いたからです。これを「応病与薬」ともいいます。頭痛の人には頭痛薬を、腹痛の人には腹痛薬をといった具合に、それぞれの病気(悩み)に応じてふさわしい薬(説法)を与えたということです。そのため時には教えに矛盾が生じることがありました。怠け者には努力を説き、過度の努力家には楽にせよと言ったりしたからです。そんなわけで多くの教典が作られていったのです。

そしてスリランカや東南アジアに伝わった上座部仏教と、中国から朝鮮、そして日本に伝わった大乗仏教とにまず大別され、日本で多くの高僧方が自分の考えに合った教典を元とし、今の宗派を開いたのです。

今日、日本の仏教だけでも、数多くの宗派に分かれていることはご存じのとおりです。それぞれの宗派が自分たちの言い分を誇示している姿は、醜いと言わざるを得ません。宗派の主張は信者の獲得に欠かせないものしょうが、仏教本来の各宗派共通の教えも数多くあるのですから、それを前面に押し出し仏教全体のアピールをしてみたらよいと思います。そして宗派がたくさんあるということは、仏教という素晴らしい教えに入る入り口が数多くあることなのだと、捉えてみてはどうでしょうか。