門徒もの知らずか?

先月の法話では、浄土真宗のお盆の迎え方について説明しました。そこでも再三言っているように、浄土真宗のお盆は形式にこだわらず、できるだけ普段通りにして欲しいと述べています。そのため他宗の信者からは異質扱いされ、門徒(浄土真宗の信者のこと)は常識を知らない「門徒もの知らず」と馬鹿にされたのです。ところがこの語源について、もともと「門徒物忌み知らず」だったとの説があります。

「物忌み」ここでは主に暦の日の吉凶を指します。日にちを六日周期で分けた、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口、を六曜といいますが、例えば友引の日に葬儀をしてはいけないとか、仏滅の日に結婚式を挙げるのは御法度、だとかいう俗信があります。こうした物忌みは、人間の日常生活を神や霊魂が支配している、と信じて疑わなかった古代人の感覚に起源しています。それが陰陽道という古い中国の占いにより制定され、今日もなお俗信という形で残されているのです。

当然仏教とはなんの関係もありませんし、そもそも「仏滅」も元は「物滅」であったと聞きます。もっとも先人にしてみれば、日の吉凶を定めることによって、自然を恐れ、自然に逆らわないで、日々安全な生活を得ようとしたのかもしれません。

 しかし浄土真宗の開祖親鸞聖人は、それを良しとしませんでした。六曜や占いなどの、仏教とは何ら関係ない様々な俗信を、人々から排除しようと布教を行ったのです。聖人の残された著述「悲嘆述懐和讃」にも幾度も民衆が俗信に惑わされていることを、嘆かれています。

念仏の教えを頂く私たちはただ一心に、南無阿弥陀仏の教えを信じ、他の教えや迷信に惑わされてはいけない。これを貫き通し、日の吉凶などを知らん顔している門徒たちを見て、他宗の信者は「門徒物忌み知らず」と言ったのでしょう。それは単なる皮肉ではなく、厚い信心によって何事にも惑わされない門徒を、尊敬する意味もあったように思えます。

浄土真宗では現在もなお、六曜をはじめとする俗信に惑わされた生活を改めるよう、活動を続けています。お念仏の教えを疑いなく信じるならば、占いなどに心が奪われることもないでしょう。それでも心に迷いが起きるのは、煩悩あふれる凡夫の定めでしょうか。そのような凡夫こそ阿弥陀さまは救って下さるそうですが。