平成19年お彼岸法要


昨日までの残暑とはうってかわって、どんよりとした曇り空の下、9月23日(日)1時半より法徳寺、秋のお彼岸法要が営まれました。
当日は、たくさんの方々にご参加いただき、またお彼岸法要が一回のみの公演のため、駐車場も本堂も混雑し、ご迷惑をおかけしました。次回からは二回お勤めを予定しています。
当日、弟の方の、副住職伊東知幸による法話がございましたので、ここでご紹介させて頂きます。

 「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが昨日までの残暑とはうってかわって、全くそのとおりになりました。
さて、お彼岸に関することわざはまだ他にもあります。
「彼岸が来れば団子を思う」肝心なことを考えず気楽なことばかり、思っているのんき者のこと。
「彼岸過ぎて麦の肥料 三十過ぎて男に意見」(春の)彼岸を過ぎた頃麦に肥料をやっても無駄なように、男は三十を過ぎると人の意見をそのまま聞くことがない。しかし参加者の皆さんは、このように法要に参加し法話を聞いていて、とても素直ですから、このことわざは当てはまりません。
ちなみに、「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」なんてことわざもありますから、私も気を付けたいと思います(笑)。
 さて、法話を聞くと言うことがどうして大事なのか?浄土真宗では「聞即信」(法話を聞くことはすぐ信心に繋がる)そして「信心正因」(信心は仏になる因となる)というのです。浄土真宗では修行が必要ありません。その代わり、仏法に耳を傾けることが大切なのです。(お寺に足を運べない方は勉強したり興味を持つだけでも結構です)

 ところでお彼岸は日本だけの仏教行事です。始まりは、今から1200年前、諸国の国分寺で営まれたそうです。その意義は、浄土真宗の教典「浄土三部経」に出てくる、「日想観」という修行にあります。それは太陽が真西に沈む中日の日に、日没を凝視しその光景が目を閉じても見えるよう、修行せよというものです。その修行期間一週間を彼岸(西方極楽浄土)と定めたのです。

 さて秋のお彼岸の風物詩といえば「彼岸花」です。あの赤く変わった形をし、にょきっと伸びた茎は独特の美しさがあります。ところがあの花の雄花、雌花、花密は繁殖には一切関係がないのです。冬になると枯れた花茎のもとより草が生えてきて春まで育ちます。春にはそれが枯れ地下には球根が育ち、秋にまた花を咲かせるのです。それを単に「進化の後の名残」と言うのでは寂しすぎます。彼岸花は進化後も蝶のために蜜を、人のために美しい花を咲かせ続けているのです。仏教ではこれを「縁起」や「布施」といいます。お互いが持ちつ持たれつ、助け合う。自分にゆとりがあるときは、周りに施しを行う。無理のないボランティア、ちょっとした優しさ。無駄なもののようでも誰かの役に立つことがきっとどこかにあると思います。
 
私たちは、この厳しい世の中で自分の利益のためだけに生きてしまいがちです。同じ時代、同じ地球、日本に生きている者同士、心にゆとりがあるときには人や動物に優しく接して下さい。そしてつらいときには少しだけ誰かを頼りにして下さい。きっとあなたにもあの大事な人と別れたとき、慰めてくれた人がいるはずです。そういった心の優しさを彼岸花から学ばせてもらいました。
最後に私たち浄土真宗の信者の生き方を指導した「浄土真宗の教義」(お経の本の始めに載っている)を紹介します。
                               
                       南無阿弥陀仏の、み教えを信じ、
                        必ず仏にならせて頂く身の幸せを喜び、
                          つねに報恩の思いから世のため人のために生きる


お彼岸法要の、ご参加ありがとうございました。秋は、行事が続きます。どうぞお参り下さい。合掌。



                  
                                               (法徳寺副住職 伊東 知幸)