壮年会定例会&新年会


平成20年1月22日、法徳寺壮年会の定例会と新年会を行いました。定例会での副住職 伊東英幸による法話を紹介させて頂きます。

正法を知らぬ愚か者には

輪廻の道のりは、はるかに長い(お釈迦様の言葉)

※正法→仏様の教え

※輪廻→迷いの世界で、生死を繰り返すことを、車輪に喩えた言葉、成仏することは、この輪廻から、抜け出ることで、そのため、解脱ともいいます。ちなみに、人間の世界も、迷いの世界であると教えています。

この前、あるラジオを聴いておりましたら、ある視聴者から、「私は、ファミレスの店長をしているのですが、最近、バイトをしたいという高校生が、履歴書に写真を貼らずに、プリクラを貼ってきて、困っています」という話題がありました。
昔は、履歴書といったら、写真屋さんで撮ってもらったのに、最近は、そうなってしまっているようです。


私の履歴書について、お話をさせて頂きます。私は、今年で、40歳になります。
いよいよ、30代から40代になるというのは、何か、考え深いものがあります。
昔は、40歳といいますと、何でも、知っていて、頼れる大人のイメージがありましたが、いざ、自分が、40歳になると思うと、ほんとに、いいのだろうか?と考えてしまいます。

皆さん良く知っておられるアメリカの元大統領リンカーンはこう言っています。
「男は四十歳になったら自分の顔に責任を持ちなさい」と。人が十人いれば、十人の顔が全部違います。
そして、顔にはその人の心が写し出されます。楽しいときの顔、喜んだ時の顔、不安なときの顔、迷っている時の顔、その時その時の自分の感情が顔に写し出されます。

 いつも怒っている人は、怒っている顔が定着してしまいます。いつも、くよくよ考えたり、心配ばかりしていたり、悲しんでばかりいる人は、暗い顔が定着してしまいます。いつも欲深いことを考えている人は、欲深い顔が定着してしまいます。
いつも、攻撃的で憎しみに満ちている方は、鋭く攻撃的な顔になってしまうのです。


 顔は、心の有り様によって変化し、成長していきます。いつも明るい心、人を思いやれるやさしい心、そんな心を持っていると、素晴らしい自分の顔がつくられてくると思います。それが、リンカーンのおっしゃる真意だと思います。
皆さんは、自分の顔に責任が持てますか?顔には、その人の生き様、人柄が顔に出てくるのです。

皆さんは、今、どんな顔になっていますか?
私たちの心は、常に、悪意や不安や悲しみ怒りが次々と湧き起こってきます。
その都度、自分では、顔を見ていませんから気になりませんが、その顔を、想像してみると、どうでしょうか?
時には、自分の顔を鏡でじっくりと見てみましょう。先日、私、ふと、自分が機嫌が悪いとき、鏡で自分の顔を見たのです。
その時、こんな不機嫌そうな顔を、家族や周りの人に見せているのかと反省させられました。

仏様の教えは、自分の心を映し出す鏡と言われております。仏様の教えを聞くことによって、自分の心が写し出されるからです。お寺の本堂へお参りされたとき、仏様のお顔を、是非、ご覧になってください。それだけで、ご利益があります。
仏様のお顔は、お優しく、迷い、不安がありません。仏様のやさしい心と、自分の心を比べてみるのが、仏様の教えを聞くことです。これは、仏様のやさしい心に自分の心を写し出して、反省しなさいと教えられていることなのです。髪型をなおしたり、お化粧をする為にだけ鏡を見るのでは無く、じっくり自分の顔を見て、いつもやさしい顔でいられるように、気をつけて生活して行きなさいと教えられているのです。


笑顔でいると、身も心も健康でいることが出来るのです。穏やかな顔になってきます。不平不満、不機嫌な顔に定着してしまわないようにしましょう!そんなことを言っても、毎日、世の中、ストレスが多く無理!と思われるかもしれませんが、しかし、ほんのちょっとの我慢、少し前向きに考えるようにするだけで良いのです。
この世は、修行の場であると考えたり、自分の成長させる、学ばせてくれる場、忍耐力をつける場など、少し視点を変え、考え方を変えるだけで、いいのです。無理せず、実行してみましょう。
顔は、自分のものですが、鏡がなければ、自分では見ることが出来ません。ですから、自分のものではないのかもしれません。私も気をつけたいと思います。そして、リンカーンの言う「自分の顔に責任の持てる」立派な顔となりたいと思います(笑)。


私は、たまたま、39年前に、法徳寺に生まれました。
これは、自分で選んだわけではありませんので、意味がないとは思っていないのです。私は、ある意味、運命というものを信じています。そして、何より、浄土真宗の寺に生まれたということは、何か、深い意味を感じるのです。

数多くの宗派があるなかで、浄土真宗のお寺に生まれたということは、なんと不思議なことか。なんと、有り難いことなのか。これを、作家の五木寛之さんは「他力」言っています。自分で選んだのではなく、自分に影響を及ぼす力、他人の力ではなく、目には見えなくても、自分を支えてくれるはたらきです。世間では、他力では駄目だ、自力で頑張れいいますが、自力だけで生きることが出来る人がいるのでしょうか。

先日、スピリチュアルカウンセラー江原さんが、『去年、流行した「そんなの関係ない」、いい言葉じゃないですよね。その言葉は、自分を孤独にしてしまう言葉です。どんな人とでもかかわり、交わっているのです。どんな人でも、もし、その方が亡くなれば、誰か、悲しんでくれる人がいるのです。』とおっしゃっていました。

自分の力だけでは、乗り越えられない、背負って行くしかないことってありますよね。
でも、一緒に背負ってくれる人があれば、歩んでいけるのです。生まれたときから、死へ向かって歩く宿命を背負わされている自分の命と向かい合いになれば、人は、今日一日だってのんびり送れるはずはないのです。
私は、阿弥陀様は、必ずお救いくださいますと、信じて疑いません。


                                                                     法徳寺  副住職 伊東英幸

定例会の後、大広間の方で新年会を催しました。とても楽しい会になりました。今年もどうぞ宜しくお願い致します。