2008年12月法話 正座をすべき?」

 報恩講も終わり、年内の行事は12月2日のニコニコ法話会を残すのみとなりました。
毎月のように様々な行事が盛大に行われてきた本堂も静まり返っているようです。昔から変わらない落ち着いたたたずまいの法徳寺の本堂はいつからか、たくさんの椅子を常時置くようになりました。これも時代の流れでしょうか、老若男女誰もが「椅子があって助かります」とおっしゃいます。生活様式が西洋化した今日、好んで正座をする人など皆無なようです。私が学生のころまでは、ありったけの座布団を本堂に並べ、報恩講などの行事に備えたものでした。
ところが、今、その多くは押し入れの中。出番がくる日はやってくるのかどうか・・。
ということで今回は、門徒は正座をすべきかどうかを考えてみたいと思います。

 まず私たち僧侶の振る舞いとして理想的な座り方は、もちろん正座です。それも座布団を使用せず畳にじかに座るのが正式です。浄土真宗は禅宗ではありませんから座禅などはしませんが、正座はお坊さんのトレードマークみたいなものですから、なかなかそれを崩すわけにはいきません。ただし着座位置に椅子が用意されているならば、無理をせずそれを使用します。僧侶といえども足がしびれるので、決して無理をしません。

 問題は門徒の皆さんが仏事の際、どのように着座すべきかということです。もし、椅子が用意されているならばそれを使用するとよいでしょう。最近では宗派の礼儀作法としても椅子座が認められています。

もし仏事の会場が和室ならば座布団の上でいきなり足を崩すのではなく、なるべく正座をすることをお勧めします。やはり正式な仏前作法は正座なのです。足の悪い方は決して無理をしてはいけませんが、心を正しその心の現れを姿勢に反映させるためにも、おつとめの間、正座をしていることに越したことはありません。それが難しい方は、おつとめの始めと終わりの合掌礼拝と、お焼香の順番が回ってきた時だけでも頑張ってみてください。きっと身が引きしまる思いがするはずです。

 時々「あの世で苦しんでいる亡き方のために、正座の苦しみくらい我慢しなくては」と言う方がいます。しかしそれは大きな間違いです。そもそも故人は極楽浄土に行き仏さまになったのです。地獄で責め苦にあっているわけではありません。そして浄土真宗では修業は必要なく、“私たち凡夫は、煩悩を持ち自らの力で仏に近づくことなどできないと自覚し、仏の慈悲に任せるほかない”という教えですから、故人のために追善回向などできないとされています。あの世や故人へのことは全て阿弥陀さまに任せ、私たちはその教えを疑いなく信じることが大事なのです。その姿勢として正座が理想的なだけであって、供養や修行のためにするのではありません。
そういった意味で浄土真宗では座禅や正座を強要しないのです。 

さすがに京都の本山では畳敷きですが、東京の築地本願寺では床に固定された椅子が並べられています。近代的な建物との調和という意味もあるのでしょうが、浄土真宗が易行道の他力本願を教えの根本としているということが、椅子座にも表れているのではないでしょうか。


法話  八千代聖苑 伊東知幸