ローソクの炎

宗教、宗派を問わず、神聖な礼拝の場に欠かせないのが、ローソクの光ではないでしょうか。そしてご家庭の仏壇にお参りする際に、まずすることと言えばマッチでローソクに点火する事です。なぜ最初かというと、ローソクの火がついていないと、線香に点火が出来ないからです。そんな線香への着火のためという、地味な存在であるローソクの火に、仏教の教えを味わう、深い意味があるのをご存じでしょうか。今回はローソクの火について考えてみたいと思います。

 ローソクに火をつける意味。それに意味があるとすれば、たいていの人は線香の点火のため、仏壇の中を明るくするため、お経を読む明かりとして、等の答えが返ってくることでしょう。ところがそのような実用上の利便の他に、宗教上の深い意味があるのです。そこでローソクの炎を「光」と「熱」に分けて説明したいと思います。

「光」・・・現代ではローソクの炎より、遙かに明るい電球などが活躍しているお陰で、ローソクの火が明るいなどとは思わないでしょう。しかし昔は炎の明かりだけを頼りに、道中や室内を照らしてきました。そんな他に明かりのない、真っ暗闇を思い浮かべて下さい。そこにぽつんと一筋の炎が点火されたならば、どうでしょう。実に明るく闇を照らし、私たちは足下への不安や、暗闇の恐怖から解放されることでしょう。

仏教ではこの暗闇を、今現在の私たちにたとえています。煩悩に眼が遮られ、自分中心の偏見から本当に正しいことが見えない。そんな私たちにお浄土から、平等に明るい光が降りそそぐ。その光はさまよう私たちを正しい方へ導いて下さる。その仏さまの光を「智慧」と言います。仏教で解く智慧とは「物事を正しくとらえ、真理を見きわめる認識力」のことで、一般に使う知恵とは意味が違います。阿弥陀さまは誰もを平等に明るく照らして下さり、仏の教えこそ真実であり、永遠に全世界を包み込むとおっしゃっているのです。

「熱」・・・炎が電球と最も違うところは、さわることが出来ないほど熱いということでしょう。その熱によって蝋を溶かすように、私たちの固く閉ざした煩悩あふれる心を溶かし、解きほぐして下さると言われています。あの暖かみあるオレンジ色の炎は、日々の生活で冷え切った私たちの心を、暖かくして下さることでしょう。仏教ではその温かみを「慈悲」と言います。仏教語として正しい意味は「仏が衆生を哀れみ、苦をのぞき、楽を与えようとする心」となります。つまりいつでも私たちを心配し、心の支えとなって下さることです。一般にも「慈悲深い人」などと使いますが、それよりももっと意味深く、平等で永遠なる仏さまの力です。

 またローソクには限りがあります。その長さが終わると、ふっと炎は消えてしまいます。そのはかなさを人生にたとえることもできます。「限りあるいのちを燃え尽きるまで、精一杯生きてください」との仏さま(亡き方)の心ともいえるでしょう。

 さらにもう一つは、火を使う動物は人間のみです。私たちが火を上手く利用し文明を発展させ、毎日調理にも利用する。そんな炎は尊ぶべきものであるともいえることから、大切に敬うことにしたのかも知れません。

以上のように、いろいろな意味があり、普段私たちが礼拝する際欠かすことの出来ない、ローソクの明かりですが、気を付けて欲しいのは仏壇から出火する火事です。毎年空気の乾くこの時期には、必ずニュースになるのが仏壇より出火の火災です。火の取り扱いには十分に注意し、礼拝が終わったらローソクの火は必ず消しましょう。線香に火がつきっぱなしなのは仕方がないですが、ローソクをつけ続けることに宗教的意味はありません。法徳寺でも、本堂内はお経が終わるとすぐ消火しますし、お参りの際にもすぐの消火をお願いしています。

参考文献 仏事のイロハ 末本弘然 本願寺出版