お焼香の意味

先月は法徳寺において「降誕会、永代経法要」を勤修しましたので、降誕会について説明しました。(永代経については平成17年5月の法話をご覧下さい)そのせいで、続きで書いてきました仏壇へのお飾りの説明、@ローソクAお花が途切れてしまいました。そして今回はお焼香について説明したいのですが、実はこのローソク、お花、焼香の三つはお仏壇や本堂への最も重要なお荘厳(仏さまへのお飾りやお供え)でして、三つを合わせて「三具足」(みつぐそく)と言います。またこれらの組み合わせを増やして「四具足」や「五具足」といったお飾りの仕方もありますが、お仏飯(ご飯の御供え)や菓子、果物をお供えしても「四具足」や「五具足」として数えません。

 

 そもそもなぜ香をたくようになったのでしょうか。それは仏教がインド生まれであることと関係があります。インドは赤道に近く一年中暑く汗もかきます。そのためいくら身を清めた出家者といえども、汗をかき体臭が発生します。お釈迦様の時代、そのにおいを消すために、お香が使われるようになったのではないかと言われています。

また熱帯雨林地方が香木の原産地であるのも、インドで使われるようになった一因です。香木はある特別なバクテリアが特殊な腐敗をさせたとき出来る、偶然の産物だそうです。ですから天然物で高貴な香りのお香は高価なのです。

 

現代の私たちもお香の芳しい香りで不浄な体臭(現代では化粧やたばこの臭いも含むでしょう)を消し、仏さまを礼拝するにふさわしい清浄なる香りにしているのです。そして心身共に落ち着かせ、心からお敬いする仏様に接するのです。

またそうした香りをかぐことで清らかな浄土を想像するという意味もあります。私たちが拝読する、お浄土の風景や様子を表した「仏説阿弥陀経」の中には、「微妙香潔」という言葉がでてきます。それは「お浄土にはたいへん清らかでよい香りが漂っている」という意味です。(注)「微妙」=現在一般的に使われている「曖昧な」という意味ではなく、良いも悪いも他と比較するものがないほど、尊くすぐれているという意味です。

 

つぎに、お焼香の煙は仏間や本堂中をゆっくり均等に漂っていきますが、これはあらゆる人々すべてに行き渡る、差別なく注がれる仏さまの慈悲を表しています。だれもが平等に同じ立場で仏さまのお慈悲を享受することができるのです。仏様の前では老若男女関係なく、誰もが同じ仏の子なのです。

 

 お焼香は、線香と抹香(いわゆるお焼香)のことを言いますが、法事の時などにそれらの作法についてよく質問されます。浄土真宗本願寺派では、線香は半分におり火を付け寝かせて供えます。また抹香は一回手でつまみ額に頂かずそのまま炭の上にくべます。

多くの人はそれらの作法の宗派ごとの違いに興味があるようで、よく質問されますが、私には各宗派の違いはよく分かりませんし、知る必要はないと思っています。また宗派ごとの違いは、各宗派の言い分があってどれが正しいとも言えません。そしてその違いは宗派の差別化を図るために分かれていったもので、形に大きな違いがあっても、元は同じ礼拝供養のためです。ですから心からお敬いする、仏さまの前で身を清めるお焼香の心には、何も違いはないのです。ぜひ形にはとらわれず、信心を大切にして頂きたいと思います。