年忌法要

お陰さまで法徳寺にはたくさんのお経の依頼をいただきます。それは近くの葬儀社や霊園からであったり、普段お付き合いしている檀家さんからだったりするのですが、そのお経の大半は年忌法要だといえます。もちろん葬儀の依頼もいただきますし、葬儀を執り行った方の四十九日法要の依頼もありますが、それらは数としてはずっと少ないのです。なにせ年忌法要は亡き方一人につき、何十年もの間何回も法要を勤めるからです。この間四十九日を勤めたと思ったら、すぐに一周忌がやってきて、また一年後には三回忌です。主催する喪主様も結構大変かもしれません。今回はその年忌法要について考察したいと思います。

四十九日法要が終わるとあっという間にやってくるのが一周忌法要です。故人の死後、満一年を経た祥月(死亡した月のこと)命日に、営み故人を偲ぶのです。周忌は回忌ともいい、このように毎年回ってくる忌日の法要を、年忌、あるいは遠忌法要といいます。

一周忌の次は三回忌ですが、ここからは死亡した年も年数に入れるので、三回忌は一周忌の翌年にあたります。三回忌の次は七回忌で、十三、十七、二十三、二十七、三十三、三十七と奇数の三と七を重ねた年の年忌が続き、後は五十回忌、百回忌となります。地方やお寺によってはさらに数が増えたりもしますが、一般的には上記の年忌法要と執り行うのが良いとされます。

ところが三回忌までは毎年勤めてきた法要も、次の七回忌までは四年もあいてしまいます。つまり遺族、親戚方とも四年間お会いすることがないかもしれないのです。ですから三回忌をひとつの区切りと捉えていただき、もし遺骨が自宅や預かり所にあるのなら、三回忌に納骨ができるよう手配をしてほしいと思います。

また七回忌くらいまでは親戚を呼ぶことも多いのですが、それ以降は家族だけでしめやかに営む方が多くなります。室町時代ころからは三十三回忌に永代供養を勤め、後の法要は打ち切ったそうですが、半世紀という節目ですから五十回忌の法要の依頼も結構あります。また毎年祥月命日にお経を依頼される方もいます。

皆様にぜひこだわって欲しいと思うのは、日取りです。多くの方は「命日より早めにやる分にはかまわない」という概念をお持ちで、ひどい時には何ヶ月も前に勤めてしまうこともあります。そのいわれは、「忘れて遅れてやるよりは早めに勤めるべき」というだけで、最も良い年忌法要の日取りは祥月命日なのです。

命日は、故人が人生を終えられ、永遠に帰らぬ人となった大変つらい日ですが、私はそう捉えてほしくないと思います。命日は、故人が仏様から与えられた人生をやり遂げ、全うし、仏様の世界に旅立って行かれた日です。「終わり良ければ全て良し」とも言いますが、人生最後の日を「残念な日」などと捉えず、「全てをやり終え仏様に生まれた日」と思っていただきたいし、そう思うことが残された自分への慰めであり、故人への励ましだと思います。

また命日は遺族にとって一生忘れられない大事な日です。最も悲しい日でもありますが、その日を境に心を入れ替え「故人の分もがんばろう。仏様になったあの人を思い念仏の教えを信じよう」など、さまざまな思いが巡った決して忘れてはならない日です。その命日の思いを呼び返し初心に帰るためにも、ちょうどぴったりの祥月命日に法要を勤めるのが良いのです。その季節の気候を感じながら、「あの日はあんなにつらかった、でも今はこんなに立ち直ることができた」とゆっくり自分を振り返ることができると思います。

そして立ち直ることができたのは、周りの方々のお陰や、自分自身の努力もあるでしょうが、何より仏様自身が残された遺族に「つらい思いをしないで欲しい」との願いがあったからだと思います。そのお心をいつの間にか頂きながら季節は過ぎ、年忌法要がやってくるのです。できるだけ多くの方に参列していただき、それぞれ今日に至るまでのさまざまな思いをめぐらし、読経を拝聴していただきたいと思います。

                    (参考文献 日本人のしきたり 青春出版社 飯倉晴武著)

                                       法話担当  八千代聖苑 伊東知幸