平成20年 秋季お彼岸法要

平成20年9月23日(火)秋のお彼岸お中日、当山法徳寺において、お彼岸法要を営みました。
今年は、午前と午後の二回行い、たくさんの方々にご参加いただきました。
当日、副住職、伊東英幸による法話がございましたので、ここでご紹介させて頂きます。



(↓法話)   
 浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、私に、二つの事を教えてくださいました。
その一つ目は、私たちは、自分の力だけで生きているつもりでいるけれども、そうではなく、
他力(仏様のはたらき)によって生かされているということ。
そしてもう一つは、南無阿弥陀仏の念仏は、私たちからお願いする念仏ではなく、仏様の
はたらきに感謝するものである。
なぜなら、私がお願いする前から、仏様の方から先に、はたらいてくださっているからであり、
そのおはたらきに感謝をするものなのだということでした。
皆様にとって、生きる楽しみ、生きる支えとは何ですか?
美味しい物を食べる、旅行に行く、趣味をがんばる。人それぞれ、いろいろだと思います。
しかし、いざ、生きるか死ぬかという時になったら、人は、何に支えを求めるのかと言ったら、
それは、仏様の真実の救いだと思います。お金は、私たちを救ってはくれません。
生きるか死ぬかではない時には、お金や物が自分の助けになります。
しかし、いよいよ、最後になったら、私たちを救ってくれるのは阿弥陀様しかいらっしゃいません。
阿弥陀様は、南無阿弥陀仏という呼び声となり、常にはたらき続けて下さっております。
その意味は、「おまえをどんなことがあっても、浄土へ救う」というものです。
 私の口から南無阿弥陀仏と称えておりますが、本当は、阿弥陀様が、私の口を通じて、称えさせて
くださり、私に「安心しなさい」と呼びかけて下さっているというのが浄土真宗のみ教えです。
しかも、親鸞聖人は、臨終の時、救われるのではなく、平生に、心の底から、念仏を申そうと思った時に、
既に、救われていると説かれました。 
 
作家であり僧侶であります、瀬戸内寂聴さんは、今の時代、目に見えないものを信じることが出来なく
なったのは、とても、不幸な時代だと思いますとおっしゃっていました。
人生の、さまざな場面で、仏様が守ってくれたな、導いて下さったなと思える瞬間があると思います。
その時は、自分が頑張ったからと自分の手柄にせず、仏様に感謝して頂きたいと思います。
自分の生死は、思い通りにはなりません。
しかし、今、生きているということは、この世に、まだ、自分の御用、役目があるということです。
毎日、仏様に向かいお念仏を称えましょう、それも、私たちの大切な御用です。

最近、テレビは、どんどん、大画面になりますが、それに比べて、仏壇は、どんどん、小さくなっております。
私は、大きい小さいは、こだわりませんが、皆様にお願いしたいのは、次の代の方に、どうか、
「手を合わせる」心を伝えて欲しいのです。
どんなに学歴があっても、お金があっても、手を合わす心を持たない方を、私は、尊敬出来ません。
あらたまって、教えなくてもいいのです、皆さんの手を合わせている姿を見て、真似をするのです。
 
先日、現在、放映されている『おくりびと』という映画を観てきました。
とても、素晴らしい内容でしたので、是非、皆様にもお薦めしたいと思います。
主人公を演じるのは本木雅弘さんです。
本木さん演じる主人公は、東京でチェロ奏者をしていましたが、楽団の解散で故郷の山形へ。
流されるままに納棺師の仕事に就くのですが、なかなか抵抗感が抜けません。
納棺師という仕事は、遺体を清め、仏衣を着せ、ひげをそり化粧を施したり・・・そして、ひつぎに納めるのです。
しかし、そんな主人公も、人が亡くなって旅立つ場面に何度も立ち会う中で、気持ちに変化があらわれ、
この職業に対する誇りを感じてくるのです。
最初は、汚らわしいと感じていた遺体が、いつしか、亡くなった方に対して、敬意を表し、尊く思えてくる。
私は、この映画を見て、私も人の生死に立ち合わせて頂ける仕事をさせて頂く有難さを感じました。
そして、死を通じて、残された者がどう生きるべきかを見つめさせていただく映画だと感じました。
映画の場面では、遺体へ「また会おうのう」という台詞が何度も出てきて、涙が止まりませんでした。

  (法徳寺副住職 伊東 英幸)