お月見

旧暦の8月15日、現在の9月18日前後は、ちょうど満月に当たります。この日を「十五夜」と呼び、満月にお団子などのお供えをして、お月見が催されてきました。今回はこれにちなみ、「月」に関して仏教との関わりを調べてみたいと思います。

 浄土真宗の信者として、まず初めに思い浮かぶことは、正信偈(浄土真宗で最も大事なお経)の中に出てくる「超日月光照塵刹」の一節です。これは「阿弥陀如来の放つ光明は、太陽や月の輝きを超えた光明であって、すべての生きとし生けるものはみな、この光明に照らされているのである(前後の文を含む)」という意味です。

この訳だけをみると、太陽や月などの輝きよりもっとまぶしい強烈な光を想像してしまいます。しかし真の意味はもっと深いのです。まず月や太陽の光は、それらが空に上がっているときのみに発する光です。当然夜や時間によって見え隠れを繰り返しますし、私たちが屋内に入ればその光を浴びることはありません。また時と場合により日に当る人と当たらない人がいる。そういった分別がおきてしまうのが物体としての太陽、月です。

阿弥陀の光明はそうではなく、いつ何時でも私たちに降り注いでいるというのです。それこそ生まれてから往生を遂げるまでずっとです。生きとし生けるものはみな、いつでも平等に仏さまの光を頂き続けています。実際に目に見える月や太陽の光とは、捉え方が全く違うのが阿弥陀様の光明なのです。

ただし親鸞聖人は「太陽や月なんか問題にならないくらい阿弥陀の光明は素晴らしい」などと言いたかったのではないと思います。「太陽や月とは受け止め方を変えてほしい。目に見える光とは違う光があることを信じてほしい」と思ったのだと思います。

つぎに月光菩薩という仏像をご存知でしょうか。これは日光菩薩と共に、薬師如来の脇侍に配され、薬師三尊像を構成していますが、単独で安置されることはありません。これらの菩薩様は日と月の光で隅々まで昼夜にわたって照らし、生死の不安や苦悩などの暗闇を消し去ってくれるそうです。ただし薬師如来があらゆる病苦を治癒してくれるという現世利益の仏なので、浄土真宗で信奉することはありません。

他にも浄土真宗聖典には、月徳仏、月勝仏、月面仏、月明仏、月音菩薩などの仏さま、月蔵経、月灯三昧経などのお経が出てきますが、具体的説明が記載されていないので、ここでは割愛させていただきます。いずれにせよ昔の人々が太陽やとりわけ月に神秘を感じ、信仰心を持つようになったことは確かでしょう。

今度のお月見には団子をほおばるのもよいですが、先祖代々から信仰されてきた月を見てお念仏を称え、自らを省みるのも良いと思います。