往生

 シルバーウィークも終わり多くの人が職場に学校に復帰している今日この頃ですが、みなさんいか
がお過ごしでしょうか。
今年のお彼岸は5連休(シルバーウィーク)と重なり、車を利用した人は大変な渋滞で往生したのではないでしょうか。ニュースなどでは行楽の車で渋滞と言っていましたが、私の実感ではその多くはお墓参りの車だと思います。秋のお彼岸の真っただ中がシルバーウィークになったのですから。

 さて上記した「往生」という言葉、良く使う言い方ですが浄土真宗としては間違った言い回しとされています。その他にも「俳優の○○さん大往生」という文章もよく目にしますが、この使い方も本来の意味からは外れていると言えます。それはどういうことなのか今回は「往生」について、本来2種類の意味があることを述べてみたいと思います。

 一つ目は「生かされて往く」という意味です。これは阿弥陀さまの本願に救いとられて今の生活が「絶対の幸福」になることをいいます。「絶対の幸福」とは「相対の幸福」に相対する言葉です。

「絶対の幸福」・・・どんな事態が起きても壊れない安心、満足、喜びのこと。阿弥陀仏の救いを信じ念仏を称えれば暗い人生が明るくなること。

「相対の幸福」・・・一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦しみに代わる幸福のこと。今日あって明日なき無常の幸福だから、常に壊れはしないかという不安がつきまとう。

絶対の幸福になると、苦悩が喜びに転じ変わるそうです。どんな逆境にも負けず阿弥陀さまの救いの中に生かされている人生になるのです。これを「不体失往生」といいます。

 2つ目は「往って生まれる」という意味です。これは阿弥陀仏に救われた人が、死ぬと同時に、阿弥陀仏の極楽浄土に往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれ、未来永劫の幸福を得ることをいいます。
これを「体失往生」といいます。

「弥陀の本願は、この世から未来永劫救いたもう約束」といわれています。
ですから往生には、現在の往生と、死んでからの往生とがあるのです。しかし現在往生できている人だけが、死んで往生できるので、親鸞は「生きている時の往生を急げ(=念仏の教えを信じよ)」と叫び続けたのです。

 どうでしょうか、一般的に使われている「往生」とはだいぶ違い、浄土真宗ならではの思慮深い「往生」があるということが解っていただけたでしょうか。ただ一般的な「往生」も日本語としては間違いではありませんのであしからず。

                                    (参考文献 図解雑学 親鸞 ナツメ社 )

                                           八千代聖苑主管 伊東知幸