なぜ水を供えない?

法徳寺では先日報恩講を無事お勤めし、今年の行事も一段落しました。それら行事の説明や仏教用語
の解説などが続いたので、たまには家庭内、お仏壇の話をしましょう。

 お仏壇には水を供える。これは世間の常識と言っていいと思います。お茶やコーヒー、ジュースな
ども同じですが、故人の好きだった飲み物を「あの世でのどが乾かないように」との思いで誰もがせ
っせとお給仕していることと思います。

ところがこのごく当たり前の行為が浄土真宗では“必要がない”と教えています。その理由は故人が
旅立って往かれた極楽浄土の情景を説いた「仏説阿弥陀経」にこう書かれているからです。

「極楽浄土には、七種の宝石からできている池がある。池の中には、八つの特性ある水が充満し、池
の底は、一面に金の砂で敷きつめられている」(現代語訳)

この“八つの特性ある水”というのは「八功徳水」といい、次の特性があるそうです。

・澄浄 ・清冷 ・甘美 ・軽軟 ・潤沢 ・安和 ・飲むときの飢渇などのわずらいを除く ・飲
み終わって身体の健康を増す

とお浄土にはこのような功徳のある水がなみなみと湧き出ているというのです。仏さまはその素晴ら
しい水に囲まれ、それをいつでも口にできるというのですから、おのずと答えは決まってきます。

 つまりお浄土の情景を模した、この世とあの世をつなぐ場所であるお仏壇には、カルキの入った水
など供える必要がないわけです。

 ではお茶やコーヒーはどうなのでしょうか。同じように「あの世での飲み物」として供えるのは間
違いです。しかし故人の好物であった飲食物を、仏壇に供えるというのは心情として当然のことです


ところがお浄土は“極楽”ですので、欲しいものはすべて備わっているから、差し上げる必要がない
のです。ですからもし飲食物をお供えする場合、生前好きであったそれらを縁に故人を偲ぶためのも
のと理解して下さい。

 お供物は他に、尊い食べ物を口に頂く前に、仏さまに供え感謝や報告をするという意味合いもあり
ます。ですから人から頂いたお菓子などはしばらくの間、仏壇に供えると良いでしょう。

前述のとおり、そもそも仏さまに“差し上げる”ということ自体が一切必要ないのです。むしろ日頃
の生活で仏さまよりお慈悲を“頂いている”のが私たちです。いつも頂きっぱなしの私たちにできる
唯一のお返しはお念仏なのです。

                                           八千代聖苑主管 伊東知幸