おくりびと

先日映画「おくりびと」がアカデミーショーを受賞し話題になりました。
これだけ世間を騒がせているのだから、宗教の時事に関して述べてきたこの法話で、取り上げないわけにはいきません。

もちろん「納棺師」という職業は仏教とは直接関係はないのですが、誰もが訪れる死という厳しい現実を思い知らし、そして死というものが暗く恐ろしいものではなく、家族に見守られながら旅立つことができれば特に美しく感動的なものだという表現は、仏教の理念と相通じるものがあると思います。

特に英語の題名「Departures」(旅立ち)がいいですね。「おくりびと」をそのまま訳するなら「Coffiner」(納棺する人)となるはず。それを「納棺師」主体でなく
「人生の終わり=来世への旅立ち」と表現したところに、浄土真宗僧侶としては嬉しく思います。

今日もテレビで「おくりびと」の特集をやっており、日本人の宗教観を取り上げていました。そして街頭インタビューで「あなたは自分の死について考えていますか?」と聞いたところ、ほとんどの人が、「暗くなるので普段はあまり考えないようにしている」だとか「今は健康なので自分が死ぬなど想像もつかない」などの回答をする人が、とても多いと報じていました。確かに今の現実を思うと、毎日の生活をやりくりするだけで精一杯な人が、ほとんどだと思います。だけども誰でも自分は将来何になりたいとか、どんな家に住みたいとか身近な未来には期待し、またもう少し先の将来のことも、年金のことだとか、早く孫の顔が見たいとか、生命保険に入っておくべきだとか多くの人は考えているはずです。

自分の死に関しても同じように考えておくべきではないでしょうか。どんなに長くても数十年後には私たちはこの世を去ります。そしてその数十年間を不安にさいなまれながら、将来を見据えず生きることがはたして充実した人生でしょうか。


親鸞聖人が述べた言葉を簡潔に表した「歎異抄」の第9条にはこのように書かれています。

「果てしなく遠い昔からこれまで生まれ変わり死に変わりし続けてきた、苦悩に満ちたこの世界は捨てがたく、まだ生まれたことのない安らかな悟りの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです」(現代語訳)

煩悩盛んな私たちは来世のことを考えようともせず、むしろ思い出さないように努めています。しかしそんな煩悩の多い人ほど、阿弥陀如来さまは救いたいと願っているのです。

浄土真宗の教えは、時に現実を突きつけることがあります。それこそ「必ず死ぬぞ!」など誰もが嫌がることを言う先生もいます。しかしだからこそ私たちにはお浄土が必要で、そして阿弥陀さまは必ず救うとおっしゃっているのだから、素直に信じる他はないと思います。

いつになるか決して分からない「旅立ち」に向けて、「旅行先」のことを予習しておくことが仏法を聞くと言うことです。
予習しておけばきっと安心して暮らせますよ。

  善林寺 八千代別院主管 伊東知幸