6月の法話

"お仏飯(ぶっぱん)"

先日、「島田陽七の、がばいばあちゃん」という映画を観てきました。この映画、浄土真宗と少し関係がありまして、
浄土真宗の門徒向けの月刊誌「宗報」に「佐賀の、がばいばあちゃん」として連載されていたのです。それをまとめ
た小説版はベストセラーになりました。とはいえ宗教に関することが題材になっているのではなく、島田氏の幼少期
の思い出をつづった映画です。「宗報」に連載されたのは、恐らく島田氏が浄土真宗の門徒だからでしょう。

映画の冒頭で島田少年が初めてお米を炊き、仏壇に供えるシーンがでてきます。
慣れない手つきで炊きあがった窯からしゃもじで白米をすくい、仏飯器によそい仏壇に置く。ただそれだけですが
佐賀に来て初めての仕事だったように、表現されていました。そう、炊きあがった喜びから真っ先につまみ食いする
のではなく、仏壇のご先祖さまにまず先にです。こんなところからも、がばいばあちゃんの家は仏さまを大事にしてい
たのだなと思いました。

 お供物といいますと、お菓子や果物などをお供えするのが一般的ですが、私たち浄土真宗はさらに、お仏飯をお供え
することを勧めています。ワイングラスの上部を低くしたような仏飯器に、朝炊きたてのご飯を山盛りによそい、朝食前に
お供えします。そして昼前にはお下げし、茶碗に乗せ換え私達でいただくのです。

「え!仏さまに食べていただくためにお供えしたのに、そのお下がりを食べちゃうの?」

と思うかも知れませんがそうではありません。
私たちが生きていくためには、肉や魚、野菜など動植物の生命を頂かなくてはなりません。そこで日々頂くものの中から
日本人の命の糧である、主食の米を食物に対する感謝の気持ちで仏さまにお供えするのです。
そう、ご先祖さまに食べていただくためではないのです。
ご先祖様の往かれたお浄土は、食物も水も豊富にある、なんの苦しみもない清らかな世界だと言われています。
ですからこの世からあの世に贈り物をする必要はないのです。

 そして肉や魚、野菜などの食べ物はそれらのいのちを頂いているのと同時に、生産者のご苦労が染みているように思
います。それを「買ってきたのだから食べて当たり前」ではなくこの食べ物に恵まれたことに感謝する気持ちの表れが
「お仏飯」なのです。
さらにそのお下がりを頂くことにより、物の有難みが身にしみてわかると思うのです。「米の表面が乾いて硬いな」と思う

かも知れませんが、だからこそ炊き立てのご飯が尊いと思うのかもしれません。
そういえばその映画で硬く炊きあがってしまったご飯を食べておばあちゃんは「大丈夫、石よりずっと柔らかい」と言って
島田少年を慰めていました。


 最近では朝食はパンを食べるという家庭が多いようですが。
宗派の見解では同じ主食だからということで、パンを供える「お仏パン」でも良いそうです。
その場合仏飯器にパンを載せるだけです。
いずれにしても米やパンにのみ感謝するのではなく、様々な食物に恵まれたご恩を喜ぶということだけは
忘れないでください。

 伊東 知幸