塔婆はいらない?

 浄土真宗は世間の一般的風習とは、かけ離れた考えを持つ宗派と言われても仕方ないかもしれません。仏壇には位牌ではなく過去帳を置くことや、お盆のお飾りはしなくて良いこと。お坊さんの頭は丸めていませんし、座禅もしません。木魚は叩かないし、般若心経も読みません。しかしそのどれも必要としないれっきとした、いわれがあるということは過去にこの法話で書いてきたとおりです。日本最大の伝統宗教である浄土真宗の我々からすると、こちらのほうが世間の常識なのですが・・。しかし関東地方に比較的少ない浄土真宗は、どうにも変った宗派だと思われているようです。

 さて今回は塔婆についてですが、ご存じのとおり浄土真宗では塔婆を用いません。ではその理由とは何でしょうか。

塔婆とは正しくは卒塔婆といい、インドの昔の言葉サンスクリット語の「ストゥーパ」を音写したものです。これはお釈迦さまが亡くなった時に遺骨(仏舎利)を納めるために作られたお墓のことで、仏教の宇宙観である五大(地・水・火・風・空)の思想が込められた五輪塔をかたどっています。石造りの五輪塔が板状になったものが今の板塔婆で、上部の凹凸した部分が五輪塔と同じ意味を持ちます。ですから塔婆はお釈迦様のお墓を模しているので、釈尊の徳を偲ぶ意味があるともいえます。

ここまでは浄土真宗の教義の上で何ら差し障るものはないのですが、その多くが故人への回向のために立てられている事実があります。浄土真宗では絶対他力の教え上、煩悩を持つ私たちには何も仏のために差し向ける能力はなく、阿弥陀さまにすべてをお任せすることが大事とされています。仏さまのためと多くの人が思っている念仏さえも、阿弥陀さまから至り届いたお慈悲を、感謝の言葉として口に出しているものです。私たちが故人の供養のためにと思うことは、故人が極楽浄土で仏になっていることを疑うことにもなりかねません。

そんな意味から浄土真宗では塔婆を必要としないのですが、塔婆を立てることで法要へ参加した記録として残る満足感はあります。事実私の千葉の霊園ではその多くが他宗派のため、塔婆を立てています。塔婆があったほうが、お墓らしくて心が休まるという人も少なくありませんので、良い面があるのも事実です。これからは宗派を超えた日本人の宗教観に対応していることが、お寺としての良い道といえるのかもしれません。


伊東知幸