幽霊はいるのか

 風のない、じめじめした夏の夜、夜道を歩いていると柳の木の下に白装束を着た女の人が・・「うらめしや〜」

残暑の厳しいこのごろ。まさに怪談話にはうってつけの季節と言えます。テレビでは「恐怖!心霊スポット」だとか「あなたは背後霊に取りつかれている!」などの番組が多く放送されています。葬儀の際、故人の孫に「おじいちゃんは幽霊になったのですか?」などと聞かれガックリすることもあります。

はっきりいって仏教と幽霊は関係ありません。どのお経を見ても「霊」という字は見当たりませんし、命を終えたら誰もが「仏」になるのが仏教の教えです。六道輪廻という考えはありますが、決して幽霊になるなど説かれてはいません。一部の僧侶が除霊を行ったりしていますが、僧侶だからこそ霊魂を否定する立場にあるのです。

実は霊という概念、中国の儒教から生まれたそうです。儒教では人が命を終えると肉体と霊魂に分かれ、肉体は骨になり地中に埋まり、魂は空に昇って行くというのです。ところが仏教では人は命を終えるとその人そのものが極楽浄土に往き、仏さまに生まれるという考えですから、肉体と別れるだとか、魂があるとかを言わないのです。遺体は残り命終えると同時に仏さまになるというのですから、儒教の考えがイメージとして自然ですが、あくまでも仏教では「往生即成仏」なのです。

霊という考えの何がまずいかというと、たいていの場合故人が悪者にされるということです。「背後霊が悪さをしている」だとか「トンネルに悪霊がいる」など、「霊=恐ろしいもの」と言えます。さらにこの考えが儒教の精神に反していることは言うまでもありません。

仏教では人はいかなる亡くなり方をしても、この世の役割を全うし人間界を終え仏さまの世界に生まれるという考えですから、「この世の人間を懲らしめい」だとか、「息子にまとわりついてやる」だとかはないはずです。むしろお浄土からこの世に残した皆様に「私の分も長生きしてくれ」だとか「今までありがとう」という気持ちで眺めていてくださっていると思うのです。ですので私たちは故人を想うたび「あなたのことは決して忘れませんよ」とか「私たちを見守っていてください」と手を合わせるのです。

どうか皆さん、あれだけ愛した故人を悪者にしないでください。そしてお墓を悪霊たちの集う場所と思わないでください。むしろ全く逆で故人は感謝の気持ちで私たちを見守っています。そしてお墓には生前のねぎらい、御恩報謝、現状報告をする対話の場所だという思いでお参りしてほしいと思います。