5月の法話


”清め塩”

  清め塩 今回は生活の様々な場面で欠かすことのできない「塩」をテーマに述べてみたいと思います。・・・といっ ても塩加減だとか、味塩コショウなどの料理の話ではありません。
宗教の分野でも塩と日本人は密接 な関係があるのです。
周りを海に囲まれた日本では、海水は身近な存在です。昔から海水を体に浴びたり、塩をものにかけ たりすることは「清め」の原型ともいえる行為で、穢れを払うとされてきました。
清め塩といえば何といっても、相撲の塩まきでしょう。大相撲の豪快な塩まきは、今ではショー的要 素も含むでしょうが、もともとこれは神事の作法のひとつです。
相撲の起源は、農作や豊漁を占う神 事で、神聖な占いの場である土俵を清めるために塩をまいたといわれています。 さて私が僧侶として思い浮かぶのは、葬儀の際の「清め塩」です。
最近では小さくパックされた塩を 香典のお返しの品と一緒に配ったり、火葬場から葬儀場に戻った際入口で塩を配布したりします。
変 わったところでは火葬場から帰った葬儀場入口に、塩が封入されたマットを置き、両足でしっかり踏 むように指示されたこともあります。 どれも日本の古くからの「清め塩」の風習が、形を変えつつも現代に残っていのかと感心するでしょ うが、我々浄土真宗の立場からすると、どれも勧められません。
それどころか宗派を挙げて、葬儀業 界に対し清め塩の撤廃を訴えているのです。
これは古くから死を穢れと見たり、死者の祟りを恐れるという考えに由来するのですが、故人をケガ レやタタリなどと見なすこと自体失礼なことですし、あれだけ愛した人を亡くなったとたん忌み嫌う などと、考える方が間違いだと思うのです。
医学的知識などが全く無かったその昔、他人の死は恐怖そのものでした、事故や餓死など死因が判る ならば別ですが、ほとんどの死は病名も原因も分からなったはずです。
恐ろしい伝染病が流行してい たならば、次に考えるのは自分の死。
たとえ最愛の人でも死体になれば、自分を恐怖に陥れる存在と なりました。そして伝染病を認知できない人々は、死を穢れと見なしていったのです。
医学の発展した現代、死者が我々を死に導くなんてことが、ないことは判るはずです。
いのちを全う したら、誰もが極楽浄土に旅立ち、仏になる教えを聞く私たちは、愛した人を穢れと見ることは到底 できません。
それどころか生前、社会や私たちの為に尽力をくださり、命終えてまでも見守っていて くれる亡き方に、感謝の気持ちを持つのが当然に思えます。 ですから私たちは、死を穢れと見る間違った風習に異を唱えます。清め塩だけではなく、火葬場から の帰り道を変える、故人の使用していた茶碗を割る、棺に釘を打つ等のむごい仕打ちすべてに、反対 の立場をとっているのです。
これは日本の伝統に逆らうものではありません。前述のとおり、知識の なかった時代の負の遺産なのです。現代に即した教えを訴えているのが浄土真宗なのです。