平成22年度 秋季お彼岸法要

平成22年9月23日、当山、法徳寺において秋季お彼岸法要が行われました。
 当日は、雷雨で荒れ模様のお天気でしたが、たくさんの方がお参りに来てくださいました。




当日の、法話を一部、ご紹介させて頂きます。↓

(↓ 法話)

 彼岸とは、向こう岸という意味で、お浄土を表す言葉です。
生前は、生きているものと生きているものとの関係で成り立っていましたから、声をかければ向こうから声が返ってくるという関係でした。しかし、一方が亡くなりますと、今度は、亡き方と生きている者との関係を作り直していかなければなりません。それは、あの人は、亡くなったのだけれども、亡くなったという形で、今も私とのお付き合いが続いているということです。ですから、生きているときのお付き合いとは違ったお付き合いだけれども、お付き合いであることには変わりはないのです。したがって、亡き方とどうお付き合いをしていくことが一番良いのかを、改めて考えさせていただくのがお彼岸なのです。

そうしますと、私たちは、一般には、亡き方を弔ったり死者が今どうなっているかというふうに心配するのですが、実は、むしろ、我々こそ、亡き方から案ぜられているのです。案じていると思っていた私が、実は、案じてもらっていると気づくお彼岸は、深い深い意味をもつものです。それは、亡き方が、生きている時、以上に、私たちにとって身近なかけがえのない存在として、私たちに思われていく世界が、生まれてくるのです。

さて、それではなぜ、亡き方は、私たちを心配されているのでしょうか。
それは、我々の人生は何がおこるか分からないからです。
自分のあてが外れたとき、私たちは、深い悲しみに出会い、深い後悔の念にさえなまれるのですが、そういうときにこそ、阿弥陀様にご相談してください。
 深い深い悲しみに出会い、涙が止まらないときにこそ、阿弥陀様に相談してください。人生、何事もなく過ぎているのであればいいですが、私たちは、必ず悲しみに出会うのです。
この世で得たものがおおきければおおきいほど、失うものもおおきいのです、。そういうときのためにも、「阿弥陀様が助けてやる」とおっしゃっているのです。
「助ける」といっても、すべてが、思い通りいくのではありません。
阿弥陀様に守られていく世界は、例えば、「この世には、病気を治してくれる神様、仏様はあるかもしれないけれども、治らないままで救われていく世界があるということを、教えてくれるのです。もちろん、治れば、治ったでよかったよかったということでありますが、治るものは、治ったでよかったですし、治らないものは治らないままで、これを、どちらも人生の真実として真っ直ぐ受け止めていきましょう、という世界です。
南無阿弥陀仏の念仏は、立派に御札にお守りの役もして下さるのです。御札やお守りを身につけていても、事故遇うときには遇うのです。しかし、お守りが役立たなかったとしても、南無阿弥陀仏の念仏は、我々を見捨てることは絶対にありません。必ず、生きる道を必ず開いてくださり、皆様をよき方向へ導いて下さるご利益があります。

私たちは誰もが、この世の旅立ちがあります。
そのために、生きている間に、その旅立ちの準備をしておかなければなりません。しかし、その準備をされている方はそう多くはないようです。

今、私たちは、こうして、お寺にお参りし、この仏縁に会わせていただいているのは、この娑婆の旅立ちの時に、この世を超えて、あの世までお付き合いをいただけるご縁を仏様から頂いているのです。私たちもまた、彼岸の世界である浄土へ生まれることが出来るのです。そして、先立っていかれた方と、再会し、仏様と仏様としての出会いがあるのです。浄土は、生前は、お互いごめんね、すまなかったねと気づかい出会える世界です。
          
                                                      (法話 副住職 伊東英幸)