教行信証「序」

先月は親鸞聖人が常陸の国(茨城県)稲田に20年もの間滞在をし、布教そして

同時に教行信証の著述を行ったことを述べました。

著述を始めたのは親鸞聖人52歳の時で、1224年といわれています。

ちなみに、この1224年が浄土真宗開宗の年と言われています。


「顕浄土真実教行信証証文類」これが教行信証の正式名称で、浄土の真実の

教えを明らかにする文集という意味です。

おびただしい数の経典に目を通し、七人の高僧(インド、中国、日本で仏教を研鑽、

伝達してくださった7人の高徳僧)の著作を学んだうえでまとめられた労作です。

内容は、「仏説無量寿経」に説かれている教えに基づいて、阿弥陀如来の48の

誓願の内容を独自に解釈したものです。

「教」「行」「信」「証」「真仏土」「方便化身土」の全六巻からなる大著で、冒頭に

「序」最後に「後序」があります。

今回は冒頭「序」の一部を紹介したいと思います。(わかりやすい現代語訳)


「なんて素晴らしいことだ、インド、パキスタンの聖典、中国、日本の師匠に、遇う

ことは難しいであろうに遇う事が出来た。聞くことは難しいであろうに聞くことが

できた。そして念仏の教えを信じ、阿弥陀さまの恩徳の深さがわかった。

いま仏の教えを聞くことを喜び、阿弥陀様より信心を頂けることを歓喜しています。」

親鸞聖人は上記のように、自分が頂いた教えは遠い国の、経典や伝えてくださった

先人たちのお陰であると喜んでいます。

現代の私達はそのように「~のお陰」と思うことが、減ってきているのではないで

しょうか。

食べ物はもちろん、あらゆる品物も、みんな作ってくれたり運んできてくれた誰かの

お陰です。また肉や魚、生き物を食べることに、抵抗感を感じなくなってきている気

がします。

どうぞ皆さん、何かを見たり読んだり食べたりした時には、親鸞聖人のように、

「~のお陰さま」と思いたいものです。

そして現代の便利な世の中には、「物があって当たり前」と思いがちです。

親鸞聖人がおっしゃったように「本来は難しいのに目の前にある」つまり「有り難い」

と思えるようにしたいものです。

それは相手の人に対しても、品物や食べ物に関してもだと思います。

「当たり前」から「有り難い」と考えなおせるような心のゆとりを持ちたいものです。

 


善林寺 八千代聖苑 主管 伊東知幸