親鸞展

先日、上野の国立博物館で開催中の「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」に行ってきまし

た。とにかく一言目に言いたいのは“凄い人気だ”ということです。

会期も終盤に迫った11月の下旬平日の昼食時、私としては空いている時間帯だろう

と思ったのですが、入場待ちを強いられ、会場内も凄い人込みでした。

東京では滅多に見ることのできない親鸞、法然の名宝を一目見ようと全国から熱心

な信者が集まってきているようでした。特に貴重な親鸞直筆の「教行信証」などは

とても近くでゆっくり見ることなどできませんでしたが、力強い大きめの文字で書かれ

ている漢文には、親鸞聖人の強い意志が表れている気がしました。

疲労困憊しながらも「本物」を一目見ることができ、満足しながらも出来ればゆっくり

見たかったとの思いも残りました。

今回もその「教行信証」の内容を抜粋し味わってみたいと思います。

前回と同じく「行文類」に私たちがいつも称える「南無阿弥陀仏」の意味について

大変詳しく書かれている文があるので、そこから私なりの解釈と現代語訳を記載

したいと思います。

まず「阿弥陀仏」とは阿弥陀さま、阿弥陀如来のことですから、そこは深く掘り下げ

ません。 「南無」という言葉が特に重要ですので詳しく説明をします。

「南無」という言葉は、梵語のナマス(敬礼、帰依の意)の音写であり「帰命」と言い換

えます。決して「南には無い」という意味はありません。

「帰」の字は、より頼む、寄りかかる、という意味です。

つまり阿弥陀さまが立てられた「平等に必ず救う」との誓願に頼りなさい、信じなさい

などの誘いの言葉で、いざ私達が称える際には「信じます、頼りにします」との誓い

の意味になります。

「命」の字は、(下記は原文直訳)

阿弥陀仏のはたらきという意味であり 阿弥陀仏が

私を招き引くという意味であり

阿弥陀仏が私を使うという意味であり

阿弥陀仏が私に教え知らせるという意味であり

本願のはたらきの大いなる道という意味であり

阿弥陀仏の救いのまことを、阿弥陀仏が私に知らせてくださるという信の意味であり

阿弥陀仏のお計らいという意味であり

阿弥陀仏が私を召してくださるという意味である

このようなわけで「帰命」とは、私を招き、喚(よ)び続けておられる如来の本願の仰せ

である と、この二文字にはこれだけの意味が含まれているのです。

さらに宗教家によってそれぞれ違う解釈があったりもします。

また呪文的な不可思議な意味があると思われがちですが、浄土真宗では呪術的な

現世利益を求めず、信心の誓い、信心を頂いた喜び、感謝の意味で称えます。

私達が念仏を称える際には、上記の意味が含まれていることを味わいながら

称えたいものです。

善林寺 八千代聖苑 主管 伊東知幸