平成23年度 新年法要


平成23年1月2日法徳寺本堂において、新年法要をお勤めいたしました。




                                   

 当日の法話を一部ご紹介します。↓

新年明けましておめでとうございます。
先日、葬儀を勤め、会場から火葬場へ向かう途中でした、信号待ちをしているときに、向こうから中学生の集団が歩いてきました、その数人の中に、霊柩車に合掌してくれる方がいたのです。
私は、とても、有難い思いでした。

私は、小さい頃、周りの友人から、霊柩車を見たら、親指隠せ!といわれていたのです。そうしないと、親の死に目に会えないとか、親が早く死んでしまうから、言われて、霊柩車を見たら、必ず、親指を隠していました。霊柩車は、怖いものだったのです。

私は、よく、身内が亡くなったら、一年間、神社の鳥居をくぐってはいけないと聞きましたが、本当ですか?とご質問を受けます。
もしかしたら、皆様の中にも、今日、神社に行きたかったのに、仕方がなく、お寺に来たという方がいらっしゃるのではないでしょうか?

それは、神社では、死を穢れとしているからなのです。葬儀の清め塩も神社の習慣からです。
でも、浄土真宗では、まったく、気にしません。私は、神社に行っても大丈夫ですとお答えしています。なぜなら、人の死は、穢れでもなく、不幸なこととは考えてないからです。人が生まれて、生きて、死ぬ。それは、自然なことであります、もちろん、悲しいことではありますが、不幸なことではないのです。
皆さん、ご自分の立場になって、考えてみてください。
大切な方が亡くなって、火葬場へ行く途中、見知らぬ方が、合掌して下さったら嬉しいし、親指を隠されたり、目を背けられたら、悲しいのではないでしょうか。
こんなアンケートがあるそうです。
「あなたは、自分の死ぬ日がいつか知りたいですか?」
九十六パーセントの方が、NOと答えたそうです。
しかし、いつか、必ず、この世を卒業するのです。その死を他人事とせず、自分自身の問題と受け止め、これからの人生をどう生きるべきなのか、どうしたら、亡き方が喜んでくださるのかを考えて頂きたいと思います。大切な方を亡くされ、残された皆様は、亡き方の分まで、生きなければならない責任があるのです。いつも、亡き方は、仏様と成って、皆様を見守り続けてくださっています。

                                             法徳寺 副住職 伊東英幸