板敷山大覚寺

先日、「相模組連研の会」のメンバーで1日旅行を行い、茨城県を訪ねました。

茨城周辺は親鸞聖人が約20年間滞在をして布教をした地で、浄土真宗門徒なら一度は訪れたい

お寺が各地にあります。今回は時間の関係で2カ寺を訪ねました。


 1カ寺目は板敷山大覚寺です。大覚寺は石岡市の板敷山の中腹にあります。

建立までのエピソードは次の通りです。


親鸞が関東を訪れる前、常陸の国では弁円という山伏が一大勢力を誇っていました。

山伏とは加持祈祷の呪文を称え、現世利益が与えられると教える修験道のことで、弁円の元には

多くの信者が集まっていました。ところが親鸞が常陸で布教を始めると、弁円の元を訪れる信者が

見る見るうちに減っていきました。

腹が立った弁円は板敷山を通るという親鸞を待ち伏せしていた。成敗してやると剣を振りかざした

時、親鸞の仏と見まがうほどの慈悲に満ちた笑顔に感化され、弁円には悔恨の涙があふれました。

親鸞が浄土の教えを説くと、弁円は弟子入りを願い出たのでした。

明法房と名を変えた弁円は、生涯親鸞の弟子となりました。


 危機の際、親鸞はどう説き伏せたのでしょうか?

文献による
「弁円殿、そなたは正直ものじゃ。本当のことを言えばこの親鸞も、憎い殺したい心は山

ほどあるがそれを隠しているにすぎない。それに引き換え、弁円殿は思いのままに振舞われている

。素直な心だ」

「親鸞殿、こんな弁円でも、助かる道はありますか?」

「何を言う。こんな親鸞も、阿弥陀如来は救ってくださる。煩悩あふれる罪深い者を救うのが弥陀の

本願なのだ」


このようなやり取りによってたちまち弁円は、弟子を願い出たのでした。

加持祈祷に奔走する弁円を心変わりさせたこの事件は有名になり、後に麓に大覚寺が建立されま

した。


 寺の開基は親鸞の弟子の1人「周観大覚」で、明法房ではありませんが、大覚寺は弁円ゆかりの

地として「親鸞聖人法難の遺跡」と称され、今も多くの信者がお参りに訪れます。


次回は2カ寺目「稲田の西念寺」を紹介します。


善林寺 八千代聖苑 主管 伊東知幸