4月の法話

”いつも、そばに・・・”

 5歳の長男が、最近自転車を補助輪なしで乗れるようになりました。乗れるようになるまで、公園で

特訓をしましたから、嬉しさもひとしおで、毎日楽しそうに境内で乗っています。

その子供の姿を見て、思い出した話があります。それは、私が伝道院で勉強している時、学友A君

が聞かせてくれた話です。

 ある日、幼稚園でのこと、「A君、僕は自転車の補助輪をはずして乗れるようになったよ。」とお友達

が自慢げに言ったそうです。家に帰り、A君はお母さんに「B君は補助輪をはずして乗れるようになっ

たんだって、僕の自転車もはずして。」というと「大丈夫?」と心配そうにいいながらも、はずしてくれ

たそうです。

その日から、お母さんとの特訓が始まりました。初めのうちは、一人では無理なので、お母さんに

荷台を支えてもらっていました。ですから、自転車がバランスを崩しようになると、後ろで、母が自転

車ごと支えてくれていたのでありました。だんだん慣れてくると、A君は、お母さんに「邪魔しないで

よ、もう一人で乗れるよ。」と言って、走りだすのですが、また、すぐにバランスを崩してしまう。

しかし、後ろを見ると、母が自転車を両手で支えてくれていたそうです。「もう、いいよ」と言っても、

「まだ無理よ。」と言って、自転車を支えてくれていたのだそうです。何度も練習していくうちに、バラン

スを崩さずに前に進むになったのです。

そんなある日、「今度こそ大丈夫だから、おかあさん、そこで僕のこと見ていてね。」と言って、自転車

のペダルを踏み込んでいくと、自転車が前に進んで行きました。「お母さん乗れたよ、乗れたよ。」と

言うと、「よかったね、よかったね。」という声が、すぐ後ろから聞こえてきたというのです。

 A君は、お母さんにいいところを見せようと思って頑張ったのです。嬉しくて「おかあさん乗れた

よ!」と思わず叫んだのです。その声におかあさんが答えて「よかったね。」という声が聞こえてきまし

た、ところがA君の直ぐ耳元で聞こえてきてびっくりしたというのです。

 お母さんは、遠くで子供の姿を見ているのではなく、自転車のすぐ後ろを、A君の自転車と一緒に

走っていたのでありました。

A君のおかあさんは、じっとしていられなかったのです。自転車のすぐ後ろから一緒について走らなけ

れば、A君のことが心配で心配でしょうがない、落ち着かないというのがお母さんの気持ちではないで

しょうか。「大丈夫、そこで見ていてね。」と言われても、いつバランスを崩すかわからない子供に後に

ついて、一緒に走ってくれていたのです。

 阿弥陀如来様も同じであります。浄土で安らかに眠っているのではない。浄土から見守っているの

ではない、遠くから私のことを眺めている仏様ではないのです。

いつでもどこでも私によりそい、共に人生を歩んでくださいます。いつ、何時、どこような縁によって命

終わるかわからない、私を救いの中におさめとってくださっているのです。阿弥陀如来様はどこにい

らっしゃるのでしょうか。それは、お念仏を称える私の側にいてくださいます。今私の耳元で、私がお

念仏を称えるまんま、「南無阿弥陀仏〜いつも私がいるよ、おまえを間違いなくお浄土へつれてい

くぞ。」と呼んでくださっております。お念仏はお墓の前や仏壇の前だけで称えるものではないので

す。いつでもどこでも、阿弥陀如来様と共にあることを、お念仏を称えることによって聞かせていただ

くのです。

「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの親の呼び声」 原口針水和上

法徳寺 副住職 伊東 英幸