6月の法話

"安心の場"

先日、ある方の3回忌法要にお参りさせていただきました。そのお宅にお邪魔すると、

数人の小さい子どもたちが、お母さんと一緒にお参りしてくれておりました。私は嫌な

予感がし、お経が始まりますと、予感は的中しました。子どもたちが座っていられるのは、

5分が限度です。その後はめちゃくちゃ、子どもたちは騒ぎ出し、手がつけられい状態に

なり、今度はお母さんの「何々ちゃん静かにして!ちゃんと座ってなさい!」という声が

飛びます。「お母さんの声もうるさいよ!」と思うのですが、これもぐっとこらえました。

私のお経の声が聞こえなくなってしまうので、私も精一杯の声をはりあげるのですが、

子どもたちと、お母さんの声にかなうわけもなく、無駄な抵抗で終わったのです。こんな

場面は、このお宅だけではなく、よくあることですが、子供たちがお参りしてくれるのは、

大変有り難いのですが、私にとっては、非常に疲れるのです。その時にふと思ったのは、

何で子供たちは、あんなに楽しそうに騒ぐのかなということです。答えは簡単、子供たち

にとって、この場が安心の場であるからなのです。なぜ、安心なのかといえば、お母さん

と一緒だからです。しかも、住みなれた我が家だからです。どんなに度胸のいい子供で

あっても、知らない場所にたった独りにされたら、これほど楽しそうに騒げないはずです。

むしろ、寂しさに泣き出してしまうことでしょう。

 私たちはお互い、この世をいつ去ることになるか分かりません。しかし今、安心して生き

ていられるのは、阿弥陀如来様が一緒だからです。ただ今、無常のこの世でありながら、

そこに安心の場が仏様によって与えられているのです。

法徳寺 副住職 伊東 英幸