9月の法話

”祟りについて”

最近、「水子の供養をお願いします」「先祖の供養をお願いします」というご依頼をお受けすることが

ございます。その理由をお聞きしますと、大抵、「実は、最近、体の調子が悪く…」、「家族に不幸が続

いて…」ということで、友人知人に相談したのだそうです。

すると「先祖が成仏していないんじゃないの?」「供養している?」と言われ、心配になってお寺にお参

りされる方がいらっしゃいます。先日も、ある女性がお寺に相談にみえられました。相談というのは、

お父様が病気になったのは、自分についている悪霊のせいではないかというものです。

「先祖は迷っているのでしょうか?」「祟りってあるのでしょうか?」

皆様はどう思われますか?「そんなことがあるものか!」と思われますか?実は、お寺への相談事で

この手が一番多いのです。相談に来られた方々も、きっと、人生が順調に運んでいるときには、誰に

何を言われても気にならなかったことでしょう。ところが、いざ不幸ばかり続くと、日頃は、そういうことを

信じていない人が一番危ないのです。

そういう人間の弱さを利用するのが、霊感商法、不安産業と言われる、宗教とは名ばかりの脅迫宗教

です。皆様も新聞の折込広告などで『霊視』『水子供養』『このまま放置していては絶対に解決しない』

などのコピ一を、目にしたことがあるのではないでしょうか。

 結論から申しますと、亡くなった方々が迷っているのではなく、生きている私たちが、実は迷いの

存在なのです。人の言うことが気になり、直ぐに迷ってしまうのです。人生順調に行っているときは、

自分は偉く強いつもりでおりますが、人間とは、非常にもろく弱い存在です。まるで、車で道に迷って

いるがごとく、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、いつ事故を起すかわかりません。

 私たちは、しっかりと地に足をつけて人生を歩んでいるつもりですが、そうでもないようです。特に、

この目には見えない悪霊には、現代でも多くの人々が苦しめているのです。それは、亡き方を悪霊に

してしまっている私の側に問題があります

 人間は、人生が順調なときは、すべて自分の手柄にしますが、ひとたび、うまくいかなくなると、何か

のせいにするのです。悪いことがあると、先祖のせいにしたり、自分がおろした水子のせいにしたり、

墓が悪いとか、仏壇の向きが悪いとか…、きりがありません。それを迷いと言っているのです。 

ここで、私から質問をしますので、少々考えてみて下さい、「皆さんのご先祖様は、皆さんに罰を与え

るようなそんな意地悪なご先祖様ですか?」もう一つ「皆さんが死んで、今度は皆さんがご先祖様にな

って、子孫の人に祟りますか?罰を与えますか?」

大抵の方は「そんなことは絶対ない!」とお答えになると思います。

皆さんが、罰をあてないというのであれば、ご先祖だって同じです。「先祖があなたに祟っている」と

いう宗教は一杯ありますが、そんなのは本当の宗教じゃありません。なぜなら、「先祖は信じられない」

というようなことを教える宗教が、宗教であるはずがないのです。

しかし、どうしたら、この弱い存在の私が、人生を迷うことなく、生ききることができるのでしょうか。それ

は、「どんなことがあっても、あなたを捨てることがない」と、私のすべてを支えて下さるものに、出遭う

しかありません。 

私たちは、人生が不安や苦しみの中にある時、日頃どんなに強がりを言っている者であっても、

あっちにフラフラ、こっちにフラフラしてしまうものです。その弱い私に「自分は迷っていたんだな」と

気づかせ、「心配しないでいいんだよ」と軌道修正して下さるのが、阿弥陀如来様なのです。 

どうか皆様、迷いや不安が生じたときは、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えてみて下さい。そこにどん

なご利益があるかと申しますと、南無阿弥陀仏の「南無」とは「安心なさい。私を頼りにしなさい」という

ことです。南無阿弥陀仏とは、私が称えているのではありません、私の口を通して私の耳に聞かせる

ために、阿弥陀如来様が、私たちに直々に呼びかけている言葉です。阿弥陀如来様を遠くに探す

必要はありません、いつでも、お念仏を称える私の元に来て下さっているのです。 

私も、迷いや不安が生じたときは、お念仏を称えることにしています。そうすると、こんなことに悩むこと

もないんだ、心配することはないんだ、いつも阿弥陀様が私の側にいて下さっている、自分の足で

しっかりと立って歩んでいこうと、軌道修正出来るのです。

 この方の家族のご病気は心配ですが、ご自分がしっかりしなくてはいけないのに、悪霊に迷ってい

たら、ストレスで、それこそ、今度はご自身が病気になってしまいます。

残念ながら、宗教で病気は治りません。人間は病気になる存在です、誰も逃れられません。しかし、

そういう悪霊に迷うことなく、病気に立ち向かう力を与えてくれるものです。

法徳寺 副住職 伊東 英幸