”恩知らず”

この前、なんとなくテレビをつけてみましたら、「嫁と姑の壮絶バトル」

などという題で、一般家庭のお姑さんと息子さん夫婦が本音を言い合う

という番組をやっていました。

面と向かって、淡々とお姑さんへの不満、欲求を言い続けるお嫁さん。

追い討ちをかけるように大きくうなずく息子さん。

それに伴い、お姑さんの形相が見る見る鬼のように変わっていきま

す。もはや、私もチャンネルを変えることもできず、釘付けとなってみて

いました。そして、とうとうお姑さんがキレて口に出した言葉とは・・・

「この恩知らず!あんたたち、誰のおかげでこの家に住んでいられると

思ってるの?○○ちゃん?(息子の名)あんた、誰に育ててもらったと

思ってるの?それがこんな嫁の言いなりになって・・ワァ〜ッ(号泣)」

 

ところで、この「恩知らず」の「恩」という言葉ですが、希薄な人間関係

が叫ばれる現代では、近頃あまり耳にすることがなくなったと思いませ

んか?親や先生、先輩、友人に色々な御恩を受けていながら、それを

感じられにくい社会となってきているのではないでしょうか?

更にこの「恩」とは、それぞれが、私はあれだけしてあげたんだから、

これだけ返してもらえるのが当たり前」という気持ちからは、決して生ま

れないものと言っていいかもしれません。

浄土真宗には、「恩」の字が使われる行事に、「報恩講」があります。

報恩講とは、宗祖親鸞聖人のご命日に行なわれる最も重要な儀式の

一つです。九十年という聖人の苦労のご生涯を通じ、仏のご恩に改め

て、感謝をするという意味があるのです。つまり、この恩とは、仏恩の

ことなのですが、それはどのようなことなのでしょうか?

如来さまは、私をただひたすらに救いたいという願いを持たれ、ご苦労

の末、それを完成させられました。そして、この救いの中で私は今、生

かされているのです。この私は、そのご恩の中に、すでに生かされなが

ら、それに気づかず、感謝もせずにいます。

しかし、如来さまは人間のように「恩知らず!」などとは決しておっしゃ

りません。見返りは求めず、ただ私を救いたいという気持で、「必ず

救うぞ。まかせよ。」と呼びかけて下さっているのです。

報恩講では、御伝鈔を拝読したり、お齋をいただいたり、恩徳讃を

唱和する中で、改めて如来さまの深いご恩に気づき、それに報いる

お念仏の生活をさせて頂きたいですね。

最後に、一句。

齋を受く椀の深さや親鸞忌

           法蓮

※ 親鸞忌・・・報恩講のこと。その他、御正忌、御七夜、御講などどもいう。

 

 法徳寺 副住職 伊東 法子