ビューティフルライフ

話題の木村拓哉さん主演のドラマでしたね。私も、見ないと話題に

ついていけないと思い、慌てて最終回だけ見ました。

やはり、ハッピーエンドとはいかず、恋人役の常盤貴子さんは、つい

に亡くなってしまいましたね。フィクションとは分かっていても・・・

どうも、最近涙もろいんですよね。

愛別離苦〜愛する方と別れなければいけない苦しみは、人間が味

わう苦しみの中でも一番辛いことだということが改めて感じました。

 先日のお彼岸法要のご講師にお願いしましたのは、医療現場の

念仏者宮崎幸枝先生でした。

先生のお話の中で、病院、しかも病床で今まさに、死を迎えようとす

る患者と主治医である宮崎先生との最後の対話を紹介して下さいま

した。

「お浄土があってよかったね」「うん」「私も必ず後からいくからね。

お念仏しましょう」

「ナンマンダブツ・ナンマンダブツ・・・・、先生、ありがとう・・・・」。

先生の話に、感動しました、自然にお念仏が出てきて涙が出ました。

浄土真宗ってありがたいなと思いました、愛別離苦の苦しみを超え

る道があるのです。そして、今生きている者にも、安心の場が

与えられているのです。

 先日、赤ちゃんが、お母さんに抱っこされお参りをしてくれました。

すやすやと気持ちよさそうに眠っていて、法事の間もお経をBGMに

気持ちよさそうでした。こんな騒がしくしているのに、よく寝れるなと

思うのですが、お母さんに抱っこされていると眠くなって熟睡しまうの

でしょうね。

でも、考えてみましたら、単に、眠いからという理由だけでなく、

赤ちゃんにとっては、いつでもどこでも、お母さんに抱っこされている

場所が安心の場なのだろうなと思いました。

法事や法話会の場で赤ちゃんが居眠りするのは可愛いですが、

大人の方に眠られると、話す側はちょっと困ります。本堂の中が、

ぽかぽか暖かく、お腹も満腹ですと、ついうとうと…・。

しかも、話しをするのが私ですと、1時間も集中できませんよね。

それは分かるのですが、それを見て、私はというと「せっかく、一生

懸命話をしているのに、居眠りなどするとは!」と腹を立てるので

す。しかし、ある時から、私の話しがつまらなくて居眠りするのではな

く、阿弥陀様の話しを聞いて安心してしまうのだなと思うようにしまし

た。ちょっといいように解釈していますが、眠くなるということはいい

ことなのです。

人間が、眠くなるというのは、そこが「安心の場」なんだなと思いま

す。人間は、心配事や悩みがありますと、眠れなくなることがありま

す。お寺の本堂では、眠くなってしまうのです、だってこんな有り難

い場所はないのですから。内陣には阿弥陀様がいらっしゃって、阿

弥陀様の顔を見たら安心できるんです。だって、「安心していいよ」と

手を差し伸べて下さって、ニコニコして下さっております。

ありがたいことですね。

ですから、法話で阿弥陀様が「必ず浄土へ救いますよ、心配ありま

せん」と言って下さっているのをお聞きすると、安心してしまって眠く

なるんだな思ったのです。

だからといって、皆さん、出来れば、眠らないで下さいね。(^^ゞ

法話は、「阿弥陀様は、既に私たちを抱っこして下さっているんです

よ」ということをお聞かせいただくのですから。先程の宮崎先生のお

話をお聞きして、見送る方も見送られる側もどちらも安心出来るんだ

なと思いました。見送る方も、自分もいづれ、この世を去らなければ

ならない日が必ずやってくる、しかし、待ってくれている人がいる世界

に自分も行くんだ、これが生きる支えになるんだなと思いました。

そして、今、既に私も阿弥陀様に抱っこされているのです。

これが一番の安心なのです。

「門徒は眠らせても、南無阿弥陀仏を眠らせる法話はするな」

これは、私の大変お世話いただいた先生からお聞かせいただいた

言葉です、その先生もまた、先生からお聞かせいただいたそうでし

た。南無阿弥陀仏とは、人間が称える言葉ではありません。

阿弥陀様自身が私に向かって呼んで下さっているお言葉です。

「あなたを今抱きかかえているよ、あなたを浄土へ必ず救いますよ」

と呼んで下さるのです。

南無阿弥陀仏こそ、浄土真宗で一番大事なことであり、この南無阿

弥陀仏を語らずには、法話にはなりません。私の口に、今、南無阿

弥陀仏とお念仏が出て下さるということは、今、阿弥陀様に抱っこ

されていることであり、今、阿弥陀様がここに居て下さって、私と共

に、苦しみ多き人生を歩んで下さっている証拠なのです。だから、

今、ここが浄土であり、「安心の場」なのです。

日本浄土教の研究で第一人者の、石田瑞麿(元東海大学教授)先

生が先日お亡くなったそうです。

その先生に関する記事が朝日新聞に「石田瑞麿氏の往生観」と題し

掲載されておりました。

以下、新聞記事の一部をご紹介します。

「念仏はとなえますか」と尋ねたことがある。「ええ、独りでに口に出

てきます。ただ、となえている自分に気づくと、途中でやめます」との

答えだった、念仏は本来、何かを願うことではない。

既に救われていることへの感謝であり、意識して称えることは対価を

求めることになるというだろう。

と記事にはありました。南無阿弥陀仏は、阿弥陀様の言葉だとはっ

きりおっしゃっています。そして、私がお願いする前に、既に、阿弥陀

様の方ではたらいてくださっている、だから、私からは、「ありがとう

ございます」という感謝しかないのですね。

お念仏と共に歩ませていただく人生こそ、真実の『ビューティフルライ

フ』なんでしょうね。

ちょっと無理だったかな。(^^ゞ

法徳寺 副住職 伊東 英幸