”娑婆の空気は、うまいぜ〜”

この世を娑婆世界と申します。

私は、この「娑婆」と言う言葉を聴きますと、テレビドラマでの

台詞を思い浮かべます。

「娑婆の空気は、うまいぜ!」〜あまりいいませんね(笑)

などと申しますので、その使われている言葉の意味からすると、

「自由な解放された楽しい世界」の意味なのかなと思っていまし

た。ところが、最近気がついたのですが、ぜんぜん意味は違って

いました。もともとは、インドの「サハ-」という言葉を音写し

たもので、その意味は、「耐え忍ぶ土地」という意味だそうで

す。つまり、苦しみ多き、悲しみ多きこの世を、人に限らず生き

とし生けるものすべては、耐え忍びながら生きているという意味

からこの言葉が生まれたようであります。

 私は、仏さまの前に座り、時々、「はぁ〜」と深い溜息をつく

ときがあります。

仏様の前に座ると緊張したりしませんし、肩をはる必要もない

し、リラックスできます。

仏様は「何よ、溜息なんかついて、ちょっと貧乏ゆすり止めなさ

いよ」なんておっしゃらないのですね。「当たり前じゃないか」

と思われますか?

でも、そういう場があるってとても大切だし、有り難いと思いま

す。仏さまに限らず、自分の周りにそういう方がいると、この

娑婆を生きて行けるのです。

 先月、当山、降誕会・永代経法要の御講師に来ていただいたの

が、富田冨士也先生です。

先生は「人は肯定されてこそ生きていける」とおっしゃていま

す。どうしたら、この娑婆世界を乗り越えていけるのでしょう

か。人は、肯定されることで前に進める、逆に否定されると

駄目なのです。

例えば、「つらいんだよ、悲しいんだよ、悩んでいるんだよ」と

もらしたとします。

その時に、「大変だね」といってくれる方に会いますと、前に進

めるのです。「何を言っているのよ、私の方がもっと大変よ、

もっと頑張りなさい」と否定されると、前にすすめないので

す。何のアドバイスもいらない。ただ聞いてほしい時がありま

す。もし、みなさんの周りの方が、あなたに弱音を吐かれたら、

それは、貴方は、相手の方から信頼されている証拠なので

す。それが裏切られたとしたらどうでしょうか?

 努力しても報われない時、人は誰かにそう言ってほしいので

す、「そうか、大変だったね」と、この言葉は、精一杯努力して

いる人に対し肯定する言葉なのです。人は皆、生きることに

必死です、この世は、耐え忍び頑張らないと生きていけないので

す。

しかし、他人からみたら、怠けている人、努力が足らなそうに見

えても、努力というものは、固有のものなのです。人からとやか

く言われるものではない、一の努力も十の努力も変わりはない。

努力に比較はなじまないのです。それを否定されてしまっては、

前に進めないのです。

引用・参考書『ねぇぼくの気持ちわかって』富田冨士也著法蔵館

 

先日、瀬戸内寂聴さんの活動を紹介されたNHKの番組を見させ

ていただきました。

その中で、作家の先輩である田中澄江さんが亡くなられ、生前の

田中さんとのある会話を紹介されておられました。田中さんは、

クリスチャンだそうです。

その当時、田中さんは、人生の苦難の真っ只中にあった、病でお

子さんが倒れ、夫にも先立たれ、そんな時、瀬戸内さんは、田中

さんに尋ねられました。

「あなたの神様は、あなたに、次から次へと、どうして苦難ばか

りあたえるの?」

「私もとても辛くてね、時々、誰もいない山へ行ってね泣くこと

があるのよ、神様、この試練はあまりに辛ろうございます、どう

かお手を緩めて下さい、ってね泣くのよ。だけどね、瀬戸内さん

ね、神様はね、私に耐えられない試練はね、お与えにならないか

ら私はそう信じているからね、今まで耐えてこられたと思うわ」

私は、キリスト教の教えは、ぜんぜんわかりませんが、田中さん

の、神様に全てをお任せしている姿には、とても感動いたしまし

た。

 先日、あるご法事でお会いしたご婦人から、次のようなお話し

をお聞きしました。そのご婦人は、北海道の浄土真宗のお寺のご

出身だそうです。大好きだった父である住職がお亡くなり

になり大変な悲しみのお通夜の席で、ある住職がご法話をして下

さったそうです。

「人間は、かゆいところは、我慢出来ませんが、痛いところは我

慢できるように出来ているから大丈夫だよ。心の痛みは、きっと

乗り越えられます」と言われたのだそうです。

そして、「阿弥陀様がお浄土でまた、お父さんとあわせて下さい

ますよ」と言われ、とても悲しみが癒されたとおっしゃっており

ました。

先日、チベット仏教の最高指導者である、ダライ・ラマ14世の

講演会が静岡で行なわれたそうです。そのご法話の内容をある

住職が教えて下さいました。

『人生というものは、広い視野で、いろいろな観点から見ていく

ことが大切なので、それによって、マイナスの出来事も、自分を

向上させるための良い経験であったと気付かされる。私たちは、

苦悩から耐えることと赦すことを学ぶのである。また、人間がも

ともともっている思いやる心といたわる心(慈悲・利他心)を開

花させ育んでいくことが大事で、その思いやる対象は、すべての

いのちである。』

皆様はどうお感じになりますか?

楽しみも苦しみをひっくるめて人生なんですね。

この世界は、娑婆なんだということが分かれば、「自分だけは、

災難がないようにして下さい」と神仏に祈るのはどうなのでしょ

うか?

残念ながら、この世界は、「苦〜思い通りいかない世界」であり、

「娑婆〜耐え忍ぶ世界」なのですから、どれだけ祈っても、苦はなくな

らないのです。むしろ、苦しみから逃れようとすればするほど、苦しみ

が増すのです。

良寛さんの言葉に、「病む時は病むがよろしく候、死ぬ時は死ぬ

がよろしく候。これ、災難を逃れる妙法にて候」というのがあっ

たように記憶しています。

仏教の救いは、苦の中にあっても、苦が無くなるのではなく、苦が苦と

してはたらかなくなることであります。

それは、この私を、大きな慈しみの心で支えて下さる大きないのち、

私のすべてを受けとめ肯定して下さる存在に

出会うことにより、恵まれる自由な境地です。

私のすべてを全肯定して下さる存在が、阿弥陀如来様です。私の

全てを見抜き「