"往生急ぐべからず"

  我々がいずれか往生することになるであろう極楽浄土。

その極楽浄土とは一体どのような世界なのか、普段具体的に述べられ

ることは少ない。今回は極楽浄土の世界の素晴らしさを説いた仏説阿

弥陀経よりそれを探ってみる。

イ.完全な幸せの世界

 私たちの世界と違い、幸せの後には次の不安や苦しみが生まれる

ことなく、晴れ晴れとした世界です。

ロ、 拝みあう世界

腹を立てたり、人の幸せをねたんだり、常に傷つけあう私たちの世界と

違い、極楽はお互いの命を拝み合い、あたためあう世界です。

ハ、 いのち永遠なる世界

 阿弥陀さまの世界は、限りなきいのちの世界です。亡くなる恐ろしさ

も、別れの辛さもありません。

ニ、 相会う世界

 私たちの世界は、親子や夫婦、兄弟、友人がいつか別れなくてはな

らない悲しみがありますが、阿弥陀さまは、その姿をよく見抜かれた上

で、再び遇うことの出来る世界、お浄土を建立されたのです。

ホ、 常に活動する世界

 迷いの世界を照らし続け、縁ある者を救うべく、少しも休息することが

ありません。

 いかがでしょうか。我々僧侶は法事の後の法話などで、このように

故人の行かれた極楽浄土の素晴らしさを説くことになります。

それをお聞きになったご遺族は「そんなにお浄土が素晴らしいところ

ならば、この辛い現実世界を早く離れて、お浄土で先立たれた故人と

楽しく暮らしたい。」そのように思う方もいるかも分かりません。

しかしそういった思いをお持ちになっては決してなりません。

極楽浄土は、どれだけ素晴らしいところであっても、現実を逃避して

行く場所ではありません。親鸞さまはこの世が嫌になったからお浄土へ

参りたいというのは間違いだとおっしゃっています。

また、死後のお浄土を楽しみにこの世を辛抱して生きることでもありま

せん。いつ命終わっても必ず救い取ってくださる阿弥陀如来様が

見守ってくださっているということは、どんな過酷な状況でも生きていけ

るということ。

そのように生きるエネルギーとなってくださるはたらきこそ、極楽浄土

なのです。つまり、この娑婆世界は、浄土のはたらきの中に包まれてい

る世界なのです。

 先日、ある布教使の方より、「生活の中で念仏するのではなく、念仏

の中に生活があるのです」と教えられました。

 私の味わいですが、念仏申させて頂きますことは、『念』〜今、私の

心に『仏』〜仏さまが来て下さってことですし、念仏の中には、阿弥陀

如来さまの私たちに向けられた願いがあるのです。

しかし、現実の生活の中で念仏した時だけ、阿弥陀さまが出てくるので

はなく、既に、至り届き、願いの中に包まれているのであります。

この現実の世界を生きる私たちを離れて阿弥陀如来さまは存在しませ

ん。念仏の中から、誰一人外れている者はおりません。

それが、この言葉の意味であろうと思います。しかし、その仏さまの存

在に気付く方は少ないのです。

 お釈迦さまは「五戒」の最初に殺生戒(生きものを殺してはならない)

とされ「いのちを大切に」を示されています。いったいなぜ、私のこのい

のちを、また多くの他のいのちを大切にしなくてはならないのでしょう。

それは、私のこのいのちが、両親を縁として仏さまから預かった“教え

を聞くための大切な入れ物”だからです。怪我をしないよう、病気をし

ないよう体を大事にして、仏さまの教えを聞き、正しい生き方をするた

めに、私のこのいのちを生かさねばなりません。そして、この世の寿命

が尽きて、命が終わる時に、このいのちを仏さまにお返しするのです。

 私たちは身近な死に出遇ったとき改めていのちの尊さ、はかなさを

学びます。逆に言えばその学びは、故人が私たちに身を持って教えて

くださった、最後のメッセージではないでしょうか。先祖代々受け継い

できたその尊いいのちを自分だけのものだと過信せず、仏さまの教え

を聞くために授かったと戒め、「大切に生きるのだよ」と、先立っていか

れた方より学ばせていただきたいものです。

 法徳寺 副住職 伊東知幸