人生の現在地

最近、車にカーナビゲーションを付けておられる方が多くいらっしゃいま

すね。略してカーナビ、つまり、道案内をしてくれる機械です。

私の車には、付いてないのですが、知らない土地に行ったときや、

初めてのお宅にお参りする時など、あればいいな〜と思うことはしばし

ばです。

昨年の夏、沖縄に行った時に使ったレンタカーには、ナビが付いていま

した。初めての土地で、もたもたして後ろからクラクションを鳴らされる

こともなく、安心してドライブ出来まして、それはそれは、重宝しました。

目的地をセットすれば、機械が道案内してくれますが、時々、間違いも

あるとかないとか。でも、大変、便利なものであります。

私としては、日常、地図があれば、それほど必要性も感じませんので、

いまだに購入にはいたっておりません。

地図とナビは共に、私たちに道案内をしてくれるものですが、両者の決

定的な違いは、カーナビは、現在地を常に教えてくれるということです。

地図は、今、自分がいる現在地が分からないと役立たないのです。

ですから、道に迷ったら、まずは、現在地は何処なのかを知ることが一

番大事なことです。

皆さんは、自分の人生の現在地は、どこですか?と尋ねられたとした

ら、どのようにお答えになりますか?

親鸞聖人さまは、「生死の迷い」が現在地であると教えて下さいます。

つまり、煩悩に惑わされ、苦しみ多く、前を見れば、老いも若きも死とい

うゴールに1歩手前であるということです。そして、自分は、一体どこから

来て、死んで何処へいくのかもわからないのです。それが、私たちの人

生の現在地なのです。人生80年といわれますから、40歳であれば、

人生の折り返し地点のように思いますが、実は、そうとも言えないので

す。現在地を見失っていることを「迷う」と言いますが、正に、私たちは、

自分の現在地が分からず迷っているのではないでしょうか。

それを「生死の迷い」の存在と申します。その迷いの存在に気付く方は

少なく、行き着く先は、迷いを深め、地獄一定だと親鸞聖人は教えてく

れます。

道に迷っている者は、地図を見て自らの力によって、目的地にたどり着

くのは時間がかかります。最悪の場合、辿り着けないかもしれません。

それよりも、迷いがわかれば、真に頼りになる導きてを探す方が早道で

確実なのです。 私にとって人生の目的地は、お浄土です。その浄土へ

行くには、阿弥陀如来様に道案内をお願いすることが一番の確実で安

心な方法です。親鸞聖人は、南無阿弥陀仏を称えることが、浄土へ生

まれる唯一の方法だと教えて下さっています。私には、浄土へ行く道も

場所も分かりませんが、阿弥陀様のタクシーに乗せていただいている

のですから、確実に目的地に行くことが出来るのです。なぜなら、運転

手は阿弥陀様が引き受けて下さっているのですから。

浄土真宗は、私の人生の現在地を常に説きます。それは、人生を悲観

的に見るのではなく、人の真の姿を示し、迷いを抜ける教えに導くため

です。迷いを抜けるには、まずは、現在地を知ることが第一なのです。

南無阿弥陀仏は、「必ず救う」と私を救うために現前に現れ出た「阿弥

陀様のよび声」です。南無阿弥陀仏こそ、私の現在地を教え、浄土へ

導く唯一絶対のはたらきなのです。

副住職   伊東英幸