同 朋

          先日、小学生に仏様のお話しをする機会に恵まれまして、今回は、

          その時にお話しした「同朋」ということについて、文章にいたしました。

         「同朋」とは、簡単に言えば、仲間とか、友達という意味です。

         仲間というのはね、『仲良くする間柄』という意味ですね、皆さんにも、

         いろいろな仲間がいらっしゃると思います。

         学校の仲間やサッカーの仲間、塾の仲間などなど、仲間って素晴らしいよね。

         やっぱり、仲間がいるから面白いし、頑張れるし、続けられるということがあります。

         私にも、いろいろな仲間がいます。

         でも、当たり前ですが、まったく知らない学校の子は、仲間とは言わないよね、

         友達とも言わない。でも、この「同朋」という言葉は、そういう狭い世界ではなくてね

         阿弥陀様の方から見たらね、「みんな仲間なんだよ」という意味なのです。

         なぜならね、みんな阿弥陀様が見守って下さっている仲間だからなのです。

         ですからね、阿弥陀様は、みんな仲良くして欲しいなと願っておられます。

         でもね、現実の私たちの姿はどうかな?みんなで仲良く暮らしているでしょうか?

         気が合うものだけは、仲良くしますが、みんなが仲良くという訳にはいきませんよね。

仏様の願い

         仏様はみんなに、「仏様の心」を持っていてほしいと願っておられます。

         仏様の心とは、「正しい心と優しい心」です。難しい言葉ではありませんね、

         簡単です、みんなにも分かると思います。

         でも、実際は、この心を持つことは難しいのです。

         まず、「正しい心」といわれても、一体、世の中で何が正しくて、何が間違っている

         という判断は難しいことです。そこで、私は、正しいという字を解体してみました、

         すると「一・止」と書くんですね、つまり、「1歩手前で止まる」ということです。

         どういうことかといいますと、先ほど、みんなに、仏様や、お父さん、お母さん、

         おじいちゃん、おばあちゃん、先生は見守ってくれているという話しをしました、

         だから、安心だよね。でもね、見守られているから、どんな悪いことをしても

         いいんじゃないよ!いつも、見守って下さっている人を、悲しませてはいけないし、

         心配させてはいけないし、正直に生きなければいけないと思います。

         正しい心とは、時々「一・止」って、自分の生き方を仏様に相談する心です。

         そして、仏様だけではなくて、皆さんを支えてくれる周りの人を思い出してほしい

         と思います。それが、先生が思う「正しい心」です。目にはみえない、周りの人の

         お陰を知るという感謝の心です。

         そして、「優しい心」とは、この字の左側は、人を表します、右側は、悲しみを表します。

         つまり、優しい心とは、相手の悲しみを分かってあげる心、理解してあげる心なのです。

         仏様の願いはね、みんなで仲良く、困った時には、お互い助け合ってこの人生を歩んで

         ほしいということです。

         みんなには、この二つの心を、大人になってもずっと持ち続けてほしいのです。

         実は、この二つの心をみんなが持っている世界が、阿弥陀様の極楽浄土の

         世界なのです。つまり、同朋の世界なのです。そして、この私たちが住んでいる

         娑婆世界にも、本当の意味で平和が訪れ、浄土のような同朋の世界に近づくように

         なればいいと思います。

         ・・・という話しをさせていただきました。ここからは、大人向けのお話し(笑)。

極楽のすばらしさ

         阿弥陀経の中には、極楽浄土の素晴らしさが説かれています。

         少し、お経の内容をまとめてみましょう。

  イ.完全なる幸せの世界

         私たちの世界の幸せは、願いがかない喜ぶ間もなく、次の不安や苦しみが

         生まれてきます。極楽では、いつも晴れ晴れとした心でいられる世界です。

  ロ.拝みあう世界

         私たちの世界では、常に傷つけあう世界ですが、極楽は、お互いのいのちを

         拝み合い、あたため合う世界。

  ハ.いのち永遠なる世界

         阿弥陀様の世界は、無量寿であって限りなきいのちの世界です。

         亡くなる恐ろしさも別れる辛さもありません。

  ニ.再会する世界

         この世で一番辛いのは、愛する者と別れていくことです。しかし、

         阿弥陀如来様の願いを信じ念仏申す者は、再び極楽で再会できるのです。

  ホ.常に活動する世界

         弔辞の中で「安らかにお眠り下さい」という言葉をよく聞きますが、

         安らかに眠っている仏様などおりません。

         先ほど、書きましたとおり、いつも見守り、私たちが幸せな人生を歩めるように

         導いてくれております。(参考図書;『阿弥陀経と出あう』森重一成著 国書刊行会版)

同姓同名

         毎日いろいろな方から、インターネットの電子メールを頂きますが、先日、

         思いがけない方からメールを頂きました。

         『はじめまして、私は伊東英幸です。同姓同名の方がいたので、ついメールを

         出してしまいました。私は今、大学院生として勉学に励んでいます。

         宗教は、よく解りませんが、これからも良い世の中づくりに励んで下さい。

         それでは、失礼します。

         P.S英幸の由来はなんですか?

         私の場合は、英は、野口英世と英雄からきていて、幸は、幸福からきています。』

        送信者の方のお名前を見てビックリしました、ナント!私と同姓同名の方なのです、

        32年間生きてきて、初めてのことでした。

        インターネット上の、法徳寺ホームページをご覧になった方からでした。

        早速、私は、ご返事させていただきました。

        『名前の由来ですが、我が家では、代々、長男に英が付きます。

        幸は、やはり幸福からきています。子の幸せを願わない親はおりません、

        幸福になってほしい、そして、周りの方を、幸せにするような子に育ってほしい

        という願いが込められていると思っています。

        幸という字は、上下ひっくり返しても、同じです。

        上になっても、下になっても、つまりは、時代が変わっても、状況が変わっても、

        壊れない変化しない幸せこそ、本当の幸せです。

        それが、自分にとって、何かを求めるのが宗教です。』と、ご返事させて頂きました。

自分にとって幸せとは

        誰もが、幸せになりたいと願っています、どうしたら、幸せになれるか毎日毎日、

        知らず知らずのうちに、考えているのではないでしょうか。

        幸せの方向を、富に求め、名声に求め、仕事に求め、友人に求め、趣味に求め、

        健康に求め、妻に夫に子に…・・切りがありませんが、それらを、求め日々

        努力しています。その気持ちがあるからこそ、毎日頑張れるし、元気も出ます。

        しかし、それは、勿論非常に大事なことですが、全て、それが適えば一時的には

        幸せな気分に成れますが、適わなければどうでしょうか?

        そして、適ったとしても、それで満足感が得られるのは、ほんの少しの間です。

        そして、私たちの利己的な願いは、見えないところで他の人を押しのけ傷つけて

        いるのです。

        人間は欲があるから生きられるのですが、そこに「正しい心」がないと間違った方向に

        行ってしまうのです。欲は、限りなく満足がなく、適っても永遠ではない。

        私たちが追い求める幸せに、疑問を投げかけてくれるのが仏教です。

仏様が説かれる幸せとは

        私は、仏様が説かれる、本当の幸せとは、自分ばかりが幸せになろうとしても

        本当の意味で幸せにはなれないですよ。ということだと思います。

        私自身についても考えてみると、一番嬉しさを感じるのは、人から感謝された時

        かもしれないなと思うのです。

        先ほど、仏教の大事な心とは「優しい心」を書きましたがつまり「慈悲の心」です。

        お釈迦様が私たちに説いて下さいました、阿弥陀様という仏様は、自分が本当に幸せ

        になるには、まずは、周りの人々を幸せにしようというものでした。

        阿弥陀様は、すべての者が本当に真実に幸せになれる世界極楽浄土へ救いとることが

        出来なかったら、私は決して仏に成らないという仏様でした。その教えは、私たちにも、

        多いに学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

        結局、私たちが、本当に幸せになるには、自分ばかりの幸福を願っていても

         駄目だということでしょう。

        しかし、自分を含めて、今の時代はどうなっているのか、まったく反対の世界です。

        本当に身勝手な人が増えてしまい、正に、地獄の世界そのものです。

        現代人は、「優しさ」を無くしてしまったようです。

迷っているのは誰?

        少し話しがそれますが、仏教という教えは、亡くなった方が迷わないように、

        成仏させる為に祈る宗教ではありません。

        仏教という教えは、迷っているものは、亡くなられた方ではなくて、むしろ、

        生きているものですよと教えてくれております。

        「迷う」とは、何かと申しますと、例えば、私たちが、「道に迷う」という

        場合を考えてください。その状態は、自分の現在地が分からない状態です、

        そして、目的地が一体どの方角にあるのか分からなくなってしまった状態を

        「迷う」といいます。私たちの人生に置き換えて見て下さい、私たちの人生

        の現在地は何処でしょうか?目的地は何処でしょうか?今、多くの方が、

        どう生きたらいいのか分からないのです、その証拠に、本屋さんに行けば、

        その手の心引かれる題名の本が、沢山あります。迷っているのは、他の

        誰でもないご自身ではないでしょうか?

        お釈迦様に、「私たちの現在地はどこなのですか?」とお尋ねしますと、

        「死というゴールの1歩手前ですよ」と教えてくれています。

        私たちに、とっては『死』に結びつく話しは嫌なものです。

        しかし、仏様が私たちに説かれたのは、嫌な意味ではないのです。

        視点を変えてみますと、今、生きているということは、当たり前ではない

        ということを説かれたのです。世の中の何一つ、当たり前には存在しませんよ

        みんな有りがたいことですよ。今、当たり前のことが、いつまでも、当たり前

        ではないのがこの娑婆世界ですよと教えて下さるのです。

視点を変えてみましょう

         自分のいのちも、健康も、家族も、友人も、お金も無くなってみて、

         当たり前ではなかったな、と初めて有り難いことだったなと気が付きます。

         皆さんの身近な方も、生きている間は、お互い、煩悩多き者どおしですから、

         喧嘩もすることもあったでしょう。あまりに身近すぎて、その人の素晴らしさが

         見えてこないのです、でも、その人が自分の前からいなくなってみて、初めて、

         その人の本当の有り難味が見えてくるということがないでしょうか。

         お釈迦様は、この世に当たり前に存在するものなんて一つもない、みんな

         有り難いものばかりだと教えてくれています。その教えを聞くものは、幸せに

         なれる方です。なぜなら、いつでも、感謝の気持ちを持って生きることが

         出来るからです。

         そして、何より、いつでも南無阿弥陀仏と称えさせていただきながら、仏様に

         護られて、間違いなくお浄土へ生まれていく人生なのだと、目的地がしっかり

         分かっておりますから、そこに喜びもあるのです。

         逆に、教えを聞かない人は、生きていることも当たり前、健康も当たり前、

         お金も、仕事も当たり前、そこには、感謝の気持ちなど生まれてはきません、

         あるのは不平・不満と愚痴ばかりです。そして、健康なうちはいいですが、

         いざ、自分の番がまわってきたとき、どんな思いになるのでしょうか。

        「いのち終わって何処へいくのか?」と大変な不安に陥ることでしょう。

        折角、両親のお陰によってこの世に生まれさせてもらったのに、ただ一人

        寂しく死んで行くだけです。人生、極論を言えば、最後はみんな死んで行くの

        ですから、そこには何か虚しさが感じられます。

        正に、現在地を知らず、目的地を知らず、そして、人生が順調なうちはいいですが

        いざ、歯車が狂い出した時は、先祖の霊のせいにしてみたり、迷っているのは、

        一体誰でしょうか。

        藤田徹文先生の法話の中で、「幽霊の絵は、決まって足が地についていない状態で

        描かれていますが、実は、生きている者こそ、地が足がついていない状態で生きて

        いるようです」とおっしゃっていました。

たった一度の人生

        私たちは、たった一度の人生、やり直しのきかない人生を、今生きています。

        今日という恵まれた1日は、二度と戻ってはきません。

        仏教でいう「正しい心」とは、自分の人生の有り様を、反省しどのように

        生きたらいいのかを、常にお釈迦さまにお尋ねする心です。お釈迦様の説かれた

        教えは、たった一度の人生を後悔しないように生きるにはどうしたらいいかを

        教えて下さるのです。

        南無阿弥陀仏というお念仏は、いつも見守って下さる、仏様にお礼をすること

        ですが、仏教は、感謝!感謝!といいますが、むしろ、目覚める教えといった方

        がいいと思います。仏様は、感謝しろ!というのではなくて、教えを聞き、それに

        よって、自分の今のいきざまはどうなっているかなと目覚めてほしい。そして、もし、

        私の願いに背く生き方をしていたら、出来るだけ正しい方向に向かうように努力

        してほしいと願っておられるのです。

自分が好きですか?

        私は、仏教とは、「自分が好きになる教え、大切にする教え」

        なのだと思います。

        皆さんは、自分が好きですか?自分の顔が好きですか?性格が好きですか?

        もしかしたら、嫌いな人の方が多いかもしれません。

        私も、よく、自分で自分に不満を言います。もうちょっとこの顔どうにかならないかなとか

        もっと自分の性格が強くならないかなとか。

        でも、自分を好きにならなければいけないのではないかと思うのです。

        仏様は、みんな一人一人、大切な掛け替えのない、いのちなんだから、いのちを粗末に

        しないでくれよと願っておられます、だからこそ、全ての者の幸せを願い、浄土へ救うと

        いう願いを成就されました。

        仏様はいつも私たちを、見守って下さっているのですから、その見守られている

        ということのご恩を知れば、自分のいのちを大事にしなければなと思うのです。

        そして、同じ仲間とし、自分の周りの人を大事にしなければいけないなと思います。

        以前、大リーグで大活躍しているイチロー選手も言っていました。

        アメリカの子供から、どうしたら、あなたのように成功するのか?という質問に、

        イチロー選手は『目標を持つこと、それに向かって努力を惜しまないこと、そして、

        自分を大切にし、周りの人を敬うこと。』と。いい言葉だなと思いました。                                                      合掌

「法徳寺だより 61号より」副住職 伊東英幸