転成(てんじょう)

私たちは、病気になりたくなし、老いたくないし、死にたくないのです。永遠に生

きたいというのが、生き物としての本能といいますか、根本の願いなのではな

いかと思うのです。しかも、ただ、長生きしたいのではなくて、いつまでも、輝い

ていたい、自分が自分らしく、精一杯輝いて生きていきたいというのも根本の

願いだと思います。

 阿弥陀仏の名は、昔のインドの言葉の意味では、無量の寿(いのち)と無量

の光を放つ仏様であります。親鸞聖人は、正信偈の最初に、帰命無量寿如

来・南無不可思議光(かぎりない寿命の如来に帰依し、はかりしれない光明の

仏にお任せいたします)と示されています。無量の寿は、人類の願望であり、

暗黒を嫌って光を求めるのもまた、人間の本願であります。

 阿弥陀仏の名は、人間の心からの願いが込められているのです。阿弥陀仏

は、生きとし生きるものすべてに、永遠の命を与え、いのちを輝かせてあげた

いと願っておられるのです。親鸞聖人は、正信偈の始めに、阿弥陀仏を信じ

お任せし、私は、この人生を歩んでいきますと示されております。

 阿弥陀様は、私たちの願いをよくよくご存知で、その2つの願いが、実現され

た世界である、浄土を建立され、私たちを救おうとされているのです。しかし、

私たちが救われるのは、浄土へ生まれてからではありません。

 親鸞聖人の正信偈のお示しは、今、この世において救われた喜びでありま

す。私たちは、老病死の苦しみから逃れることは出来ません。しかも、死の先

は、地獄へしか行きようのない生活しか出来ません、まさに、真っ暗闇の人生

です。しかし、阿弥陀如来様に出会うことにより、明るい世界へと転じかえられ

るのです。目的のない人生は、闇です真っ暗闇です。未来が闇なら、現在も闇

なのです。未来が明るいからこそ、今も明るいのです。浄土へ向かう人生は明

るいのです。地獄まっしぐらの人生が、正反対の無量の寿と無量の光に包ま

れた世界に、向かう人生に変るのですから、こんな明るいことはありません。

 私の生活は、相変わらず、苦の連続であり、地獄にしか行きようのない、お

恥ずかしい生活です。しかも、浄土に生まれることが喜べない、申し訳ない私

でありますが、そんな私を包み込みお救いくださいます。その阿弥陀さまのお

救いを浄土真宗では、転成と申します。私のそのままを、阿弥陀さまの力によ

り、転じかえてくださるのです。

 私たちには、人生の目的地があります、しかし、私たちには、その目的地が

どこにあるのかも、どうしたら往くことが出来るのかも分からないのです。しか

し、阿弥陀様が、ちゃんと案内して下さいます。阿弥陀如来さまの『必ず浄土

に救うから、今を大切に、このいのちを見つめ、しっかりと生きぬいておくれ』と

いう願いをお聞きかせ頂き、強く、明るく生きてゆきましょう。