焼香

仏事には、かならず、焼香を致します。皆さんは、焼香を何回やりますか?私

は、葬式などで、いろいろな方を見ていますと3回やられる方が一番多いよう

ですね。

浄土真宗本願寺派(西)では、1回と決められております。しかし、どうも、1

回ですと、心がこもってないように思われるのではないかと感じるのは、私だ

けでしょうか?3回の方が丁寧だと見えるのです。そして、「一回でお願いしま

す」というと、みんなはどう思うかというと、早く終わられるためだなと思われて

しまうのです。

先日、ある霊園に法事にうかがいましたら、その霊園の礼拝堂というのは、使

用時間が30分と決まっていまして、その間に終わらせなければなりません。

そうでないと、次ぎの方に迷惑をかけてしまうわけです。私は、このような施設

で法事をする場合は、20分位お経を称えて、その間に、お参り頂いた皆さん

には、焼香をしていただいて、終わりましたら、お参りになっている皆さんの方

を向いて、法話をさせていただくのです。

ところがですね、この前、お経が終わって、法話をしようかなと思いましたら、

「いつ焼香するのでしょうか」と言われまして、私は、困ってしまいました。

「えっ!まだしてなかったんですか?」私は、焼香を始めてくださいと言ったつ

もりだったのですが、後ろには、聞こえなかったみたいなのです。

仕方がないので、法話は止めてしまいまして、また、前を向いて、もう一度お

経を称えたのです。皆さんが、丁度終わった頃、30分になりまして、法話をす

る時間はなくなってしまいました。法話が出来なくなってしまったのは、大変

残念なことですが、折角、法事にお参りされたのに、焼香をしないというわけに

もいきません。それだけ、焼香というのは、仏事にはかかせない位置付けにな

っておるように感じます。

 

しかし、それほど、無くてはならない焼香ですが、なぜ、焼香をするのかという

のは、あまりご存知ない方が多いようです。

なぜ、香を焚くかといいますと、その始まりは、お釈迦様の時代にさかのぼり

ます。お釈迦様がお亡くなりになり、荼毘にする際、インドは、香木の産地なの

で、その香木で荼毘にしたようです。香木は、焼香の香の原料になるもので

す。

この香を焚くのは、亡き方の為というよりも、残された者が、お香のよい香りを

かぎ、先立っていかれた方に対し、素直に感謝のお気持ちや、生前のご苦労

への労いのお気持ちで供養するためにあります。そして、香の薫りは、仏様の

世界の薫りなのです。私たちもいづれ、仏様の世界に生まれさせていただくこ

とに感謝をするという意味が焼香にはあります。ですから、お香の薫りただよう

中で、最後に仏様の話しを聞いて頂くというのが、浄土真宗では大事なのです

が、この前の法事では、出来なくなってしまいました。また、お経というのがどう

いう役割をしているかといえば、焼香する際のBGMなんですね。

でも、本当は、お経は、仏様の教えが書いてあるのですから、お参りした皆様

に聞いて頂くためのものなのです、しかし、聞いたって何を言っているのかわ

かりませんから、最後に、法話をさせていただくのが、浄土真宗なのです。そ

して,焼香しましたら、浄土真宗では、必ず、お念仏を称えていただきたいと思

います。このお念仏は、私が称えておりますけれども、しかし、この念仏の中

身は、仏様なのです。南無阿弥陀仏とは、仏さまの呼び声なのです。仏様

がいつも守っているぞとはたらいてくださるのです。南無阿弥陀仏には、私た

ちを浄土へ救う力があるのです。ですから、お念仏を称えると、仏様は、喜ん

でくださいますし、私たちも心安らぐのですから、焼香の際には、是非、念仏を

してほしいですね。

 

今こうして、仏様の前に座り、お念仏申させていただく身にさせていただいてい

るということは人生でこれほど、幸せなことはありません。

私は、ずいぶん大袈裟に言っているように聞こえるかもしれませんが、決して

大袈裟ではありません。浄土は、保証されているんです。いつでも、親しき方

に会いにいけるのです、こんな嬉しいことはありません。そして、この娑婆に戻

ってきて、苦しんでいる者や、悲しんでいる者の側にかえり、救うはたらきをす

るのです。万が一、地獄におちてしまったら、親しき者と出会えないし、この娑

婆に戻ってくることはないのです。

 

目的のない人生は、闇です真っ暗闇です。未来が闇なら、現在も闇なのです。

未来が明るいからこそ、今も明るいのです。私たちには、人生の目的地があ

ります、しかし、私たちには、その目的地がどこにあるのかも、どうしたら往くこ

とが出来るのかも分からないのです。しかし、阿弥陀様が、ちゃんと案内して

下さいます。阿弥陀如来さまの『必ず浄土に救うから、今を大切に、このいの

ちを見つめ、しっかりと生きぬいておくれ』という願いをお聞きしましょう。そし

て、元気なときもそうでない時も、その時、その時を精一杯生きましょう。

 

仏事には、かならず、焼香を致します。皆さんは、焼香は、何回やります?私は、葬式などで、いろいろな方を見ていますと3回やられる方が一番多いですね。1回ですとね、どうも、冷たく思われる、こころがこもってないと思われるんですね。3回の方が丁寧だと。あまり、悲しんでないんではないか。火葬場とかで、「心をこめて、一回でお願いします」というと、みんなはどう思うかというと、早く終わられるためだなと思うわけです。心をこめて、一回でお願いします。先日、ある霊園に法事にうかがいましたら、礼拝堂というのはですね、30分と決まっていまして、その間に終わらせなければなりません。そうでないと、次ぎの方に迷惑をかけてしまうわけです。20分位御経を称えてですね、その間に、皆さんには、焼香をしていただいて、終わりましたら、お参りになっている皆さんの方を向いて、法話をさせていただくのですが、ところがですね、この前、御経が終わって、法話をしようかなと思いましたら、いつ焼香するのでしょうか。私は、困ってしまいまして、えっ!まだしてなかったんですか?私は、焼香を始めてくださいと言ったんですが、後ろには、聞こえなかったみたいなので。仕方がないので、法話は止めてしまいまして、また、前を向いて、もう一度御経を称えたのです。皆さんが、丁度終わった頃、30分になりまして、法話をする時間はなくなってしまったんです。みなさん、なぜ、焼香をすると思いますか?なぜ、香を焚くかといいますとね、その始まりは、お釈迦様を荼毘にしるときに、インドでは、香木の産地なんで、その香木で荼毘にしたようです。香木は、焼香の香の原料になるものです。この香を焚くのはですね、亡き方の為というよりも、残された者がですね、お香のよい香りをかぎ、先だっていかれた方に対し、素直に感謝のお気持ちや、生前のご苦労への労いの御気持ちで供養するためにあります。そして、香の薫りは、仏様の世界の薫りなのです。私たちもいづれ、仏様の世界に生まれさせていただくことに感謝をするという意味が焼香にはあります。ですから、お香の薫りただよう中で、最後に仏様の話しを聞いて頂くというのが、浄土真宗では大事なのですが、この前の法事では、出来なくなってしまいました。また、お経というのがどういう役割をしているかといえばですね。今は、焼香する際のBGMなんですね。でも、本当は、お経は、仏様の教えが書いてあるのですから、お参りした皆様に聞いて頂くためのものなのですが、聞いたって何を言っているのかわかりませんからね、最後に、法話をさせていただくのが、浄土真宗なのです。そして,焼香しましたら、浄土真宗では、必ず、お念仏を称えていただきたいと思います。このお念仏はですね。私が称えておりますけれども、しかし、この念仏の中身は、仏様なのです。南無阿弥陀仏とはね、仏さまの呼び声だからです。仏様がいつも守っているぞとはたらいてくださるのです。南無阿弥陀仏には、私たちを浄土へ救う力があるのです。ですから、お念仏を称えると、仏様は、喜んでくださいますし、私たちも心安らぐのですから、焼香の際には、是非、念仏をしてほしいですね。今こうして、仏様の前に座り、御念仏申させていただく身にさせていただいているということは人生でこれほど、幸せなことはありません。私は、ずいぶん大袈裟に言っているように聞こえるかもしれませんが、決して大袈裟ではありません。浄土は、保証されているんですよね。いつでも、会いにいけるんですよね、こんな嬉しいことはありません。浄土へ生まれればね、親しき者と出会える。そしてね、この娑婆に戻ってきてね、苦しんでいるものや、悲しんでいる者の側に返りて、救うはたらきをするのです。万が一、地獄におちてしまったら、親しき者と出会えないし、この娑婆に戻ってくることはないのです。何千年何万年の間、苦しみにあうのです。今日は、降誕会と永代経を一緒に勤めるのですが、降誕会とは、浄土真宗の開祖である、親鸞聖人の誕生を御祝いしょうという法要ですが、ういう方は、手をあげてください。浄土真宗の教えが大好きで、親鸞聖人が大好きな方なら別にしてねそれほど多くないと思うんですよ。熱烈なまじめな信者の方なら別ですが、たまたま、みなさんがふまじめではないと思いますが、浄土真宗だったという方がほとんどでね。私も同じなんです、浄土真宗でなかったら、自分は、今、何をやっていたかわかりません。「たまたま」とかね「偶然」とか思っているかもしれませんがね。親鸞聖人は、そうではない、遠き宿縁を喜べ、過去からの因縁を喜べ。過去にね、皆さんは、過去世にね尊い行いをされてきたんです。

私も同じなのです、たまたまどういうわけだか、浄土真宗の御寺に生まれたのです。

★親鸞聖人がもし、この世に生まれてこなかったのなら、私たちは、大きな不安をかかえながら、迷っていたことでしょうね。寂しい思いをして死んでいったでしょうし、残された者も、生きるのぞみさえをうしなったと思いますね。

 

人生において何が大事かと言えば、通りすぎた過去ではないのです、大事なのは、今と、そして未来をどう生きていくかであります。

目的のない人生は、闇です真っ暗闇です。未来が闇なら、現在も闇なのです。未来が明るいからこそ、今も明るいのです。

 

 私たちには、人生の目的地があります、しかし、私たちには、その目的地がどこにあるのかも、どうしたら往くことが出来るのかも分からないのです。しかし、阿弥陀様が、ちゃんと案内して下さいます。阿弥陀如来さまの『必ず浄土に救うから、今を大切に、このいのちを見つめ、しっかりと生きぬいておくれ』という願いをお聞きするのです。