法事の意義

私は毎日のように葬儀や法事でお経を勤めておりますが、お経のあとに

必ず法話をしております。これはお経を読むだけでは伝わらない、念仏

の教えを、より多くの方に理解して頂き、信心を深めていだきたいと思っ

てのことです。お坊さんはお経が読めれば良いと思われがちですが、一

番の使命は、より多くの皆さんに浄土真宗の教えを広め、信心を深めて

いただく手助けをさせて頂くことです。お参りの席でお経を長々と読むだ

けでは実際退屈ですし、供養になっていると認識していても、何か呪文の

ようなものを唱えているお坊さんの邪魔をしないように、ただうつむいて

いるだけで終わってしまうのでは、何かすっきりしないものがあると思い

ます。法話で特に申し上げているのが、法事は亡き人のために勤めるも

のではない。ということです。「故人の霊魂を慰めるためにお経を上げる」

といった認識は浄土真宗では間違いです。亡き人は如来さまのお救いに

よって、すでにお浄土へ参られているのです。ですので、亡き人に善をふ

り向ける(追善)必要もなければ、またそんなことができる立派な坊さんで

もありません。難しくまとめると浄土真宗で行う読経(お勤め)は故人への

追善回向ではなく、阿弥陀如来のお徳をたたえ(仏徳讃嘆)、そのご恩に

感謝する(報恩感謝)行為なのです。法事というのは「仏法の行事」という

ことで、この仏法は、ほかでもない参加者ためのものです。家族、縁者一

人一人が仏法を自分のこととして聞き味わってこそ、意義あるものとなる

のです。亡き人を偲びつつ、この私が仏法を聞く行事これが法事です。

法徳寺 副住職 伊東知幸