歎異抄 第二章

今から700年以上前、親鸞聖人は常陸の国で布教活動をすること二十余年に

して、ひとり京都に帰ってきました。しかし帰京後、常陸の国で門弟たちは教え

に迷い、さまざまな異端邪説が起こります。この異議を正すため、親鸞聖人は

我が子の善鸞を東国に送るのですが、期待に反して善鸞はますます事態を紛

糾させます。このため東国の門徒・信者たちが、親鸞聖人本人にそのむねを

ただそうと、はるばる上京してきて問うのですが、そこで聖人は実にそっけなく

語っているのが歎異抄第二章です。

@往生の方法や経典など難しいことを知りたいのなら、奈良の都や比叡の山

にいる学者に聞くのがよいということ。

A私は師である法然の教えに従っているだけで、その結果、極楽に行くやら

地獄に行くやら知らないということ。

Bたとえ地獄に落ちても、自分の信じた道だから後悔しないこと。

C弥陀の願いがまことなら、まわりまわって、私のいうことにも理はあるはず

だということ。

Dしかしこれも自分ひとりの場合で、それを他人に押し付けようとは毛頭思わ

ないこと。

こうしてみると、実にそっけない言葉と思うでしょうが、聴衆の中にまじっていた

歎異抄の著者、唯円は、親鸞聖人が論理的に全思想の要点を語り尽くしてい

ると、感じ取っていたのです。人には、ある瞬間、自分の命をなげうってでも行

動をしなければならないときがあります。インドの仏典にも法を聞くために、自

らの命を捨てようとした話しが幾つか出てきます。宗教の世界には、生命を賭

けるほどの真剣さが必要なのです。その決意を促すのは“信じる”ということで

す。親鸞聖人も、いわば法然上人を信じて法然上人の前に身を投げ出したの

でした。ですからその結果が地獄であろうと極楽であろうと、注文をつけること

などできないのです。そしてCでは「弥陀−釈迦―善導−法然−親鸞」という

親鸞まで教えが届いた“信仰の系譜”を語り、自身の信心を自負しています。

そして「東国の皆さんも、善鸞のいうことに心を浮き足立たせるとは何事だ。そ

れは結局皆さんの信心が固まっていないからではないか」と言おうとしている

ようです。そしてDでは信仰の自由と信仰の主体性をも語って締めくくっていま

す。このように第二章では、一見そっけなく突き放すように語っているように見

えますが、実は親鸞聖人は自身の思想を強く訴えており、決して忘れられない

文章であると思われます。      参考文献 歎異抄私解 大谷暢順  

法徳寺 副住職 伊東知幸