浄土真宗の年末年始副住職 伊東英幸

 皆様、明けましておめでとうございます。今年も「法徳寺と門信徒を結ぶ法徳寺ホームページ」を宜しくお願い致します。2005年がスタート致しましたが、一年の初めに、「浄土真宗の年末年始」と題して、書かせて頂きたいと思います。 年末には、是非、家の大掃除だけでなく、ご仏壇の大掃除、お墓の大掃除もおこなっていただきたいと思います。そして、大晦日には、1年間の報恩感謝をこめて、家族そろって、ご家庭のご仏壇にお参りされるのがよいでしょう。大晦日からお正月にかけては、毎年、おおぜいの方が初詣にお出かけになりますが、圧倒的に、神社にお参りされる方が多いようです。レジャー気分の方もいらっしゃるでしょうが「今年も良い年でありますように、どうぞ、神様・仏様、よろしくお願いします」とお願い事にお参りされる方がほとんどでしょう。開運招福・家内安全・心願成就・交通安全・縁結び・商売繁盛・合格祈願・学業成就・勝運祈願・安産祈願・病気平癒など数多くの願い事があり、あるホームページでは、これらの願い事に一番ご利益がある、神社・お寺を紹介してくれるものまでございました。

初詣

 私は、初詣は、自らの信じるみ教えの宗教施設にお参りされるのが、本当だと思います。浄土真宗の門徒の方は、一年の始まりを、すがすがしい思いで「阿弥陀如来」の御前で、お参り致しましょう。ご家庭のご仏壇には、打敷をかけ、お餅をお供えしましょう。法徳寺では、お正月に、『新年法要』を勤めております。始めて、十年ほどになりますが、当初は、お参りが少なかったのですが、徐々に多くなりました。「浄土真宗では、初詣は、お寺にお参りする」というのが、受け入れらえれるようになったと感じております。是非、一家おそろいになってお参り頂きたいと思います。

自分の姿

 私は、いつでも、ないものねだりで、自分勝手で、思い通りにいかないと、不平、不満の毎日であり、心が汚れていると感じています。しかし、私は、たった一度の人生、限られた時間の中を生きているわけですから、本当に心安らかに、報恩感謝の毎日を過ごしたいと思っているのですが、分かってはいてもなかなかその通りにいきません。皆様の中で、私と同じ思いをされている方は、是非、お寺にお参りされることをお薦めいたします。一緒に読経し、仏様のお話しを聞かせて頂きますと、心が洗われ、日頃の日暮らしを見つめ直す機会になるのではないかと思います。それこそ、人には、絶対に見せられない、汚い心の姿が照らし出されます。仏様は、私の生き方を攻めるのではなく、悪い事とは、知りながらもそのようにしか生きられない私の姿を悲しまれ、そういう者を、最も救いの目当てとして下さっているのです。

報恩感謝

 また、仏様の前に座らせていただくだけで、気持ちがよいものです。私は、是非、皆様に仏様への報恩感謝の生活を実践してほしいのです。それは、皆様が、仏様の教えを聞いて頂くこと、そして、南無阿弥陀仏とお念仏を毎日称えて頂くことです。阿弥陀如来様は、いつも、私たちの事を心配し、心の支えになって下さっています。いつも仏様は、私の為にはたらいて下さっているのです。先日、ある新聞記事により、はたらくとは、「はた」を「らく」にすること、と教えていただきました。はたらくとは、周りを楽にするため、幸せにするためにすることなのだと書いてあったのです。阿弥陀如来様、そして、皆様の先立っていかれた亡き方々は、私たちのために、24時間毎日毎日はたらきどおしです。

精一杯

 私たちは、仏様のはたらきの中にあるわけですから、その中で、精一杯生きることもまた私たちが出来る報恩感謝だと思います。精一杯、生きるということは、言葉でいうのは簡単ですが、生きるということは、どれだけ、苦しく、辛いことか分かりません。もしかしたら、早く、浄土へ生まれる方が、楽だなと思うときもあるかもしれません。しかし、親から受けた命です、そして、仏様から願われ、生かされている命です、粗末には出来ませんし、人生をなげやりには出来ません。これからも、お念仏申し、浄土への道を歩ませて頂きたいものです。そういう、お気持ちで、一年のスタートにも、是非、ご仏壇やお寺の阿弥陀如来様の前にお参り頂きたいと思います。

浄土真宗のお寺

お寺とは、ほとんどの方が、死者を供養する場であると思われていると思いますが、浄土真宗のお寺は、そればかりではなく、毎月の法話会や行事がございます。法事や葬儀も大切な宗教行事ではありますが、それらの場を通して、私たちが、阿弥陀如来様の救いに出会い、救われる場であります。阿弥陀如来様は、現実の私を支えてくれる、はたらきなのであります。

利益(りやく)

 仏様、神様に祈れば、いっさいの苦難がおこらなくなるとか、努力もせずに、お金が儲かるとか、志望校に合格するいうのは、嘘であります。念仏を称えれば、長生きが出来るとか、病気に合わないということもありません。しかし、その苦難に耐える力を与え、さらにその苦難の意味を変えて、その苦難の中でこそ、人生の素晴らしさ、真実に合わせていただくことが出来ましたと、泣きながらも、合掌して苦難を受け止めることの出来る心を与えて下さるのが真実の救いなのだと思います。今時の言葉でいえば、マイナスをプラスに転化させる利益であります。「不幸は、不幸と思った時からはじまる」と、どなたかがおっしゃっておりましたが、人は、苦難の中で、成長するという面をもっています。しかし、それには、真実の教えに出会うことがなければ、迷いを深めることにもなりかねません。浄土真宗では、欲望のために、神仏に祈ることはしません。それは、欲望にはきりがなく、かえって、迷いを深めることになるからです。欲望をかなえるのではなく、現代人が忘れかけている、「他人を思うやる気持ち」や「やさしさ」「生きていることへ感謝」という心を与えて下さるのです。今年こそ、より多くの皆さんに、仏様との素晴らしい出会いがあることを願っています。