浄土真宗の日常のおつとめ 本文へジャンプ


葬儀・49日を無事にお勤めされて、ほっとされたと思います。
しかし、「これで一周忌までは、何もしなくていいや」・・・では、いけません。
ご仏壇には、毎日、手を合わせて頂きたいですし、お墓にも参って頂きたいと思います。そこで、このページでは、浄土真宗の日常のおつとめについての作法をお話したいと思います。


日頃のご仏壇へのお勤めについて

朝起きましたら、お仏飯をお供えします。
お仏飯とは、炊き上がったごはんのお初のことです。
ご飯を炊かないお宅はパンでも結構です。
他宗のように
お茶やお水などは
供えません。
そして、礼拝のときは、ローソクに点火し、お線香は香炉の大きさに
合わせて折り、寝かせて供えます。
リンは、お経を称えるときにだけ鳴らします。


聖典について

浄土真宗では、聖典(お経の本)は非常に大切なものです。
これは僧侶だけが持つものではなく、信者の方一人一人が必ず持つものです。
これには、浄土真宗で朝・晩お勤めする大切なお経が載っています。どこかにしまってしまうのでなく、是非、朝・晩ご仏壇に向かい、お経を称えて下さい。
お経を称える時間がない方は、毎日、お出かけになる前に、仏壇に向かい、お線香を供え、合掌・礼拝し「なんまんだぶつ」とお念仏を称えましょう。
また、お帰りになりましたら、まずは仏壇に向かうよう心がけましょう。
その際、必ず念珠を両手にかけるようにいたしましょう。

聖典は、お寺にございますので、お求めください。

どうして、ご仏壇に拝むのか

浄土真宗の教えは、私たちは、この世の命を終わるとき、阿弥陀如来のはたらきによって、迷いの娑婆世界を離れ、悟りの世界、苦しみのない清らかな、阿弥陀如来様の世界である、お浄土に生まれ仏様と成らせていただくというものです。
私たちは、亡き方が可哀想とか、不幸なように思いますが、それは、私たち生きている者の価値観で考えております。
実際は、亡き方が不幸なのか、生きている者が不幸なのか分か
らないのです。

仏教の究極的な救いは、私が浄土に生まれ、仏様と成ることです。
仏様とは、浄土に生まれ安らかに眠っている方ではなく、いつでも
娑婆世界にお帰りになり、私たちを、護り支えて下さる方です。
それは、仏様から見たら、私たちが、とても可哀想に見えるからです。それは、毎日、殺生をし、煩悩によって、欲望は多く、争いはつきず、自分中心でしか物事をみれない私たちであるからです。
しかも、いつ何時どのような縁によって、命終わってゆくか分からない、そして、命終わった先には、生前の悪業によって、地獄にしかいきようのない、私たちがいるからです。
その私たちに、「私がいつも見守っているよ、私が浄土に生まれさせる」と願い呼びかけてくれているのが仏様なのです。
その仏様の呼び声を「南無阿弥陀仏」という言葉で表しています。
そこで、私たちは、毎日、朝・晩必ずお念仏・お経を称え、故人を偲ぶと同時に、感謝申しあげなければなりません。
ですから、亡き方が一番喜ばれるのは、残された皆様が、阿弥陀如来様の救いに出会い、浄土に生まれることを願うことなのです。
つまり、私が浄土へ生まれ、仏様となることを、亡き方は、一番願われているのです。




お経について

お経は、聖典に載っている、正信偈・讃仏偈・重誓偈などを称えます。お経を称える際は、はじめに合掌・礼拝し、「なんまんだぶつ」と、
お念仏を称えます。その際、数は何回でも結構です。
そして、聖典をおしいただいてから、聖典を開き、リンを二回、鳴らし
始めます。讃仏偈、重誓偈はふしをつけずに称えます。
正信偈は、ふしをつけて称えるお経で浄土真宗では、一番大切な日常のお勤めです。お経の最後には3回リンを鳴らし終わります。
そして、もう一度聖典をおしいただいてから閉じ、最後には合掌・礼拝でお念仏を称えます。
しかし、誤解しないでいただきたいのは、念仏・お経を称えるのは、
故人の霊を慰めたり、成仏させるための呪文ではなく、今までの人生のご苦労を偲び、現在は阿弥陀仏と共に仏様となって、私たちを救いとる、はたらきして下さっていることに感謝する為です。

お経には、阿弥陀如来様の真実の救いが説かれてあるのです。
亡くなった方の霊を鎮めるような呪文が説かれているのではありません。生きてる者の為に、お経はあります。
お経は、元はお釈迦様が説かれたものをお弟子方が後世の人々にも伝わるように文字として残して下さったものです。
お経を称え、亡き方を偲ぶと共に、必ず浄土へ救いとると、はたらいて下さっている、阿弥陀如来様の真実の救いに耳を傾けましょう。
これからの皆様の生活が、お念仏と共にあることが、故人が一番喜ばれるのです。


お経を正確に習いたい方へ

お寺にお経のテープや、お経の意味を分かりやすく書いてある本が
あります。また、毎月、法話会がお寺であります。
法話会は、基本的には毎月2日。土日、行事で変更あり。
(参加費無料・どなたでも参加できます。)
お気軽にお問い合わせ下さい。

下記に、お経のカセットテープの購入先をご案内しておきます。

(正信偈のカセットテープ購入先)
すねいる TEL075−343−0240

浄土真宗本願寺派(西)用
(浄土真宗関係の本の購入先)

★ 本願寺出版社рO75−371−4171
聖典から、仏教の入門書〜専門書まで購入できます。
パンフレットを請求してみましょう。
入門書としては『仏事のイロハ』などがいいと思います。

★ 百華苑 рO75−371−5760

この出版社は、浄土真宗の僧侶の方の法話集などを、多く
取り扱っています。

(お経の現代訳の本)

★お経 浄土真宗 講談社 

※この他、最近では、書店でも仏教書を多く取り扱うよう
になりました。



聞法(もんぽう)が一番、大切!

浄土真宗で最も大切なことは、お墓参りだけではなく、聞法だと言われております。聞法とは、「法(仏の教え)を私が聞かせていただく」ということです。
仏教は、とかく、死んでからの救いを説き、生きている者にとっては、関係ない教えに誤解を受けております。
しかし、浄土真宗の開祖、親鸞聖人(1173〜1262)は、念仏を称える者に、ただ今現世に於いて、素晴らしい利益が、仏様から与えられると説かれました。
その利益を、生きている者が聞かせてもらうのです。

人間は、何の為にこの世に生まれてきたのでしょうか。
何のために生きているのでしょうか。
また、死んだらどうなるのでしょうか。
この問いは宗教の問いなのです。
その答えに親鸞聖人は教えて下さいました。
「人間がこの世に生まれて来たのは、仏になるためだ。そして、私が仏になることのできる唯一の道が、阿弥陀様の必ず浄土へ救いとるという願いを信じ、お念仏を称えさせていただくことである。
そして、阿弥陀様の救いを、子や孫に伝えるために生き、お浄土に
生まれて仏になるために、この世を去らねばならないのだ。
死ぬんじゃない、生まれるのだ」と。

生・老・病・死は他人事でない

現在さまざまな、宗教があり、どれが真実・偽物か分からなくなりつつあります。私は真実の宗教とは、教えによって「この人生を安心して生き、安心して死んでいける」利益を与えられるものだと思います。
つまり、「生も死もお任せできる宗教」です。
私たちは、誰一人、老い・病み・死ぬという苦しみから逃れられないのです。しかし、現代人のほとんどが、その苦しみから、目を背けています。なぜなら、考えるのが恐ろしいからです。

私の「いのち」は明日をも知れぬ無常のいのちです。
厳しいですが、この現実をはっきり見極めねばなりません。
その不確かな無常の「いのち」であるならば、限りあるいのちをどのように生きていくかが問題となります。
それを教えて下さるのが、仏教なのです。
そして、この不確かな「いのち」であるからこそ、阿弥陀仏は、すべての人々の真の幸せを願って下さっています。
すべての者を、苦しみのない真に幸せの世界である、浄土へ救いたいと願って下さっています。
人生は旅に譬えられますが、もし自分の行き先を知らなければ、それは旅ではなく放浪なのです。
私たちは、一体どこへ行こうとしている旅をしているのでしょうか?
仏さまにお聞きしますと、今、この苦しみ多き、娑婆世界に生きる私たちでありますが、既に浄土へ生まれることが出来る身にさせていただいておるのです。ですから、安心して死んでいけるし、それは、安心して生きていけるということです。 どうか、一刻も早く、阿弥陀仏の救いを信じ、お念仏申す身に、ならせていただきたいものです。


お墓参りの心得

一、先に本堂のご本尊(阿弥陀如来)にお参りしましょう。

一、お正月、春秋のお彼岸、お盆には家族そろってお参りしましょう。

一、親の命日には必ず、お参りしましょう。

一、家族にお祝事があれば、お参りしましょう。

一、悲しいことや自分の心に迷いが起こった時は、お参りしましょう。

一、お寺の近くに来たら、お参りしましょう